平成23年5月 悠久の大義

  • 投稿日:2011年 5月22日

被災地を訪れて、

4月30日に出発して、車中2泊、現地2泊で
宮城県女川地区に、社員8名で炊き出しに行ってまいりました。
冷凍車トラックを含む計3台に分乗し、
やきそば1500人前、やき鳥500本、
果子乃季さんのどらやき1200個、
チョコレート菓子1500人分、
岩国の地酒「五橋」「黒松」を一升パックで80パック等々、
トラックに詰め込んで現地に向かいました。

30日の、

15時30分に出発し、
初日の炊き出し場所である女川総合体育館に到着したのが
5月1日の朝8時30分、ほとんど休息なしで17時間の道のりでした。
到着して直ぐに焼きはじめた焼きそばが
初日の1000人分すべて出来上がったのが16時位でした。
女川総合体育館は女川地区の支援本部が
設置されている場所なので自衛隊がお風呂の設営をしており
他の避難所の方々も多く来られていました。
又、日曜日でしたので芸人のボランティアの方も来られていて、子供達を励ましていました。
2日目は、炊き出しで女川第3小学校、女川ボランティアセンター、
海泉閣と3ヶ所廻り、お菓子、どら焼きの配給で
もう2ヶ所の避難所を廻り、計5か所の避難所を廻りました。
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現地を見て、テレビで見るのとは大きな違いでした。

言葉では言い表せない、想像を絶する様な悲惨さ、ひどさ、無惨さ、恐怖とういうか、
この世のものとは思えない情景には絶句してしまいました。

避難所の現状はと申しますと、電気、水等のライフラインはほとんどの地域で回復していました。
わずか1カ月半の間によくここまで回復にこぎつけたのも
多くの方々の不眠不休のご苦労があったからだと思うと、心が熱くなりました。
又、物資において、水、ラーメン、服、お菓子等、最低限必要な物や長期保存出来る物は、
十分に行き届いておりました。
しかし主食の食糧においては未だ十分ではなく、朝・昼でパン1個の配給であったり、
2日目の夕方炊き出しをした所では我々のやきそば、やき鳥以外はおにぎり1個という状態でした。
温かいごはんが食べたいだろう、おいしい魚も、肉も食べたいだろうと思うと心が苦しくなる思いでした。
集団生活の中、プライバシーも無く、本当に苦しい環境の中、
家が流され、家族、知人の死を目の当たりにし、本当に心痛の中であろうに、
明るく元気に明日を生きよう、もう一度この町を復興させよう、
この子供達の為にもがんばるんだとういう様な強くたくましいエネルギーを感じることが出来、
逆に私達が元気をもらった様でした。
あの究極の状況の中でも『礼節高く』『調和を保ち』
日本人の特質である『相手を思んばかる精神』『利他の精神』の中でお互いが協調し、
感謝の念を忘れず至誠の心でこの仲間を、この町を、この地域をみんなの力で復活さすんだという
高い志を持ちうる日本人に、私は『日本人の誇り』を、心で、肌で感じたことはありません。
私は日本は変わると思いました。
戦後の焼け野原から復興し、勤勉、勤労な日本人であるが故に、
高度成長を成し遂げ経済大国となったが
今や、一時の勢いもなく、国家の負債が千兆円にも上ろうとし、
心の痛みを持つ人々が増え、悲惨な事件が後を絶たない今の日本は
必ず変わるし、必ず変わらなければならないと強く思いました。
私達は被災された方々の死や苦労を無駄にすることなく国民全員が一体となり
この困難を乗り越え、絆の深い美しい日本を築き上げねばならないと強く思った。
最後に、炊き出しの準備をしてくれた女性社員、
ゴールデンウィークにも関わらず行動を共にしてくれた弊社社員を誇りに思うと共に感謝したい。
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平成23年4月 悠久の大義

  • 投稿日:2011年 4月 1日

あの悲劇の

3月11日以来連日の悲しいニュースに心が痛み、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
この原稿を書いている今日は4月10日で震災からちょうど1カ月が経ちました。

『この非常時の今、日本人として思うこと』として、

「25歳の女性、遠藤未希さんの死」について書かせていただきます。
『運命は選択できないが運命に対する姿勢は選択できる』彼女の行動はまさしくこの言葉に尽きると思う。
宮城県南三陸町の町役場危機管理センターの職員の彼女は、津波が押し寄せてくる中、「早く逃げてください。
六メートルの波があります」と最後まで放送を続け、結局津波にのまれた。
住民を救おうとマイクを放さず目前に津波が迫る恐怖と闘いながら、公人としての使命を全うすべく25歳という若さで最期を遂げたのです。
多くの住民は彼女の振り絞る声を聞いて無事、高台に逃れた。
海外の新聞には彼女の記事が次の様に掲載されている。
『日本が地震による大災難を乗り越えて立ち上がるのは時間の問題だ。
円高が維持されているからでもなく、日本政府が莫大な資金を供給しているからでもない。
混沌の中でも落ち着きと節制を失わない市民の精神が生きていて、住民の為にマイクを最期まで放さない公人精神が残っているということ。
これ以上の災難克服意志を示す証拠はない。
遠藤さんの場合、町役場の末端職員などという考えはなく、住民の安全の責任を負った最高の公職者のように行動した。』又、他の海外メディアのコメントで、『日本人がこうした状況下で米国の様に略奪や暴動を起こさず、相互に助け合うことは全世界でも少ない独特の国民性であり社会の強固さだ』又、地震当日の東京において切迫した状況にもかかわらず、コンビニやスーパーなどの施設は通常通り営業した。
そこにできた長蛇の列に住民は整然と並びきちんとお金を支払って買物をした。
鉄道機関は夜通し運行した。
大混雑の中で乗客はお年寄りや妊婦に席を譲ったというこの様な当り前の行動は実は世界に誇るべきことなのだ。
アメリカのメディアは「有史以来最悪の地震が世界で一番準備され訓練された国を襲った。
犠牲は出たが、他の国ではこんな正しい行動はとれないであろう。
日本人は文化的に感情を抑制する力に優れている」と。
又、「日本国民が自制や自己犠牲の精神で震災に対応した様子は広い意味での日本の文化を痛感させた。
日本の文化や伝統も米軍の占領政策などによりかなり変えられたのではないかと思いがちだったが、文化の核の部分は決して変わらないのだと今日、思わされた」と、私はこの様な記事を読んだ時、『日本は変わる、変わらなければならない』と強く思った。近年の日本は若者の引きこもり等後ろ向きの傾向、公より個の優先、日本の経済文化の下降、政治の困迷の中、この震災が日本国家と日本民族の底力の再発見を促し本来の日本文化に基づいた新しい目的意識を持つ日本人を創造すると確信する。
震災を契機に我が国が世界に向けて模範を示し新たな地平を拓き、我々残された日本人は無念にも災害で亡くなられた方々の霊に報いる生き方をする事が我々の使命だと思う。
しきしまの 大和心の ををしさは
    ことある時ぞ あらはれにける
               明治天皇 御製



平成23年3月 悠久の大義

  • 投稿日:2011年 3月19日

3月11日に発生した

東北地方太平洋沖地震は
未曾有の大惨事となり、時間を追う毎に入る情報に心が痛みます。
地震や津波で犠牲になられた方々へ
心よりお悔み申し上げますと共に被災地の一日も早い復興を心よりお祈りいたします。


先日の

3月12日土曜日に、「第2回サン・リフォームカップ」周南近郊小学生バレーボール大会を
無事開催することが出来、大変嬉しく思っています。
開催にあたりご協力頂きました、関係者の皆様、本当にありがとうございました。
子供たちの情熱溢れる懸命なプレイを見ることができ、
心から感動する幸せな時間を過ごすことができました。
その日懸命に闘った6年生の方の中には、この「サン・リフォームカップ」が、
スポ少での最後の大会出場になった方もおられるかと思いますが、
心に刻まれるいい大会であって欲しいと願います。
来年もまたこの時期に、「第3回サン・リフォームカップ」を開催する予定です。

↓「第2回サン・リフォームカップ」の大会の様子はコチラから
https://www.sunreform.net/40/4050/post_304.html

「縁を生かす」

先日、大変感動した、記事がありましたので、皆様に是非読んでいただきたく、掲載させていただきます。

その先生が5年生の担任になった時、一人、服装が不潔でだらしなく、
どうしても好きになれない少年がいた。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを記入するようになっていた。

ある時、少年の1年生からの記録が目に留まった。
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ」とある。
間違いだ。他の子の記録に違いない。先生はそう思った。

2年生になると、
「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」と書かれていた。
3年生では
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りする」
3年生の後半の記録には
「母親が死亡。
希望を失い、悲しんでいる」
とあり、4年生になると
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」
先生の胸に激しい痛みが走った。
ダメと決めつけていた子が突然、
深い悲しみを生き抜いている生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。
先生にとって目を開かれた瞬間であった。

放課後、先生は少年に声をかけた。
「先生は夕方まで教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?
分からないところは教えてあげるから」少年は初めて笑顔を見せた。
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
少年は自信を持ち始めていた。

クリスマスの午後だった。
少年が小さな包みを先生の胸に押しつけてきた。
あとで開けてみると、香水の瓶だった。
亡くなったお母さんが使っていたものに違いない。
先生はその一滴をつけ、夕暮れに少年の家を訪ねた。
雑然とした部屋で独り本を読んでいた少年は、気がつくと飛んできて、先生の胸に顔を埋めて叫んだ。
「ああ、お母さんの匂い!
きょうはすてきなクリスマスだ」

6年生では先生は少年の担任ではなくなった。
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
「先生は僕のお母さんのようです。そして、いままで出会った中で一番すばらしい先生でした」
それから6年。またカードが届いた。
「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。
おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます」
10年を経て、またカードがきた。
そこには先生と出会えたことへの感謝と
父親に叩かれた体験があるから患者の痛みが分かる医者になれると記され、
こう締めくくられていた。
「僕はよく5年生の時の先生を思い出します。
あのままだめになってしまう僕を救ってくださった先生を、神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、
5年生の時に担任してくださった先生です」

そして1年―。
届いたカードは結婚式の招待状だった。「母の席に座ってください」
と一行、書き添えられていた。
―たった1年間の担任の先生との縁。
その縁に少年は無限の光を見出し、それを拠り所として、それからの人生を生きた。
ここにこの少年の素晴らしさがある。人は誰でも無数の縁の中に生きている。
無数の縁に育まれ、人はその人生を開花させていく。
大事なのは、与えられた縁をどう生かすかである。                                                     ―月刊「致知」より

皆様にも、素晴らしい「縁」との出会いが訪れますように

イナックスの表彰式が福岡県太宰府でありました。

「いい住まいいい暮らしキャンペーン2010」イナックスのポイントゲット部門中国エリア、
全国エリアでの売上の結果によって、優秀な成績をおさめたとして表彰されました。
(中国エリア第1位。全国エリア第7位。)
なんとこのコンテスト対象社は全国で4,220社!
これもひとえに日頃の皆様のご愛顧の賜です。感謝いたします。

そのキャンペーンの表彰式が福岡県の太宰府であり、
その際に、久方ぶりに大宰府天満宮に足を運びました。
その日、展示してあったポスターの、梅に埋め尽くされた大宰府のあまりの美しさに目を...
感慨深い詩に心奪われ...下松に帰ってからも、そのポスターの情景や詩が
頭から離れることができませんでした。
そして、なんとかそのポスターを譲っていただける様に
各関係施設に問い合わせ...取り寄せることが出来ました!
嬉しくて嬉しくて、表装屋さんにすぐ駆け込み...パネルにしてもらいました。
パネルはショールームに今飾っています。
ぜひ皆さんに実物を見ていただきたいと思います。

写真で詳しく大宰府天満宮をご覧いただけます
http://kotomachi.exblog.jp/i23(ことまち写真館さんより)

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~花~

花の名だけは知っていて
花そのものは知らない
そんな花があります
愛という字は
よく知っているのですが
そして
愛そのものも知っているつもりだけど
降るような花の下を行くと
いったい
何を知っているのか
と 急に思います

川崎洋/詩集「象」(思潮社より)
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あなたに、たくさんの幸せが咲きますように。





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