平成24年11月 悠久の大義

  • 投稿日:2012年 11月 1日

紅葉が美しく

冬の到来を感じる季節となりましたが、皆様方におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。






先月号で、

『人財の群生』の大いなる要因は【憧れのある人物】の存在と【教育】にあり、特に今の時代に必要とされるのは『正しい教育』であると書かせていただきましたが今月は『教育勅語』について少し触れさせていただきたいと思います。

【教育勅語】
先日、『教育勅語の真実』伊藤哲夫著の本を読む機会に恵まれ、教育勅語の背景を深く学ぶことができました。教育勅語は明治23年10月30日に渙発され、終戦後の昭和23年6月19日に廃止されました。この廃止には占領軍であるGHQの意向が大きく関係しています。戦前の教育や思想をすべて『軍国主義』と結びつけ[教育勅語=軍国主義]ととらえGHQの日本の弱体化の為の日本骨抜き計画の一端でもあります。教育勅語が軍国主義に利用された事実も確かに有ると思います。しかし教育勅語の本当の意義や成り立ち等、本幹の部分を学び日本人の美質を育んだ教育勅語をもう一度、再考することは日本人の武士道的精神である大和魂を思い起こせることと思います。
 明治天皇が「徳育に関する箴言を編纂して、それを子供たちに教えたらどうか」と時の総理大臣の山縣有朋に仰られ教育勅語の作成の発端となった背景には、明治維新の生んだ影となる色々な問題が起こっていたのです。維新後、文明開化という名の下、西洋文明の摂取にまい進し西洋に魂を奪われる若者は年々増加し日本の精神文化を否定し、軽視する者が続出し国の体制を揺るがすまでになったのです。
 学校の教育現場においても同様に混乱を極め、「とにかく西洋文明を摂取するしかない」という強迫観念の下でヨーロッパの書物をそのまま急遽翻訳し、各地域、学校がバラバラな教育を行ったり「とにかく英語だ」ということになり、英語さえ教えればそれでいいというように、現場は植民地のような状況に陥っていたのです。日本の伝統的な教養、文化の教えや徳育教育はないがしろにされていたのです。
 この様な状況に明治天皇は非常なる危機感を覚えられ政府首脳に次のような認識が示されました。

最近、専ら知識才芸のみを重んじ、文明開化のむしろ悪いところを学び、品行を損ない、風俗を乱す者が少なくない。その原因となっているのは、明治維新の始めにおいて陋習(ろうしゅう)を破り、知識を世界に求めるとした卓見により西洋の良い所を学び、文明開化の実を挙げたことは良かったとしても、その反面として、仁義忠孝を後にし、いたずらに洋風を競うような状況になってしまったことである。将来恐れるのは、ついに君臣父子の大義を知らないような子供たちが出てくることも予測されることである。これはわが国の教学がめざす本意ではない。すなわち、西洋の文物を学ぶことはもちろん必要だとしても、まず日本人が立脚すべき道徳の根本を教えなければ本末転倒になるのではないか、と指摘されたのです。それがなされていないがゆえに、品行が乱れ、風俗が損なわれるのだと。


以後、紆余曲折をたどって教育勅語が完成したのです。現在を振り返って思うに明治天皇が憂い嘆かれたあの明治の時代より比較出来ない程、日本精神が荒廃し倫理、道徳が廃れ、学校教育にも多くの問題をかかえ経済においても後退の一途をたどり、政治においても信義無き、討論に明け暮れているのが現状でしょう。
 今こそ日本は教育において大きなる決断をしなければならないと思います。外国からおしつけられた歪められた近代史ではなく、正しい歴史観に基づいた誇りある日本人としての近代歴史観の教育、そして倫理・道徳・修身、教育を見直す時であると思います。政治は変わる、いや、変わらなければならないと多くの人が思っているのではないでしょうか。安部内閣の誕生も近いと思います。そして、石原新党、橋本維新の会等の有志により、戦後ずっとくすぶり続けていた、憲法改正、教育問題、外交問題、防衛問題等、国体においての本幹的な部分において三者の方向性は合致しているのではないかと思っています。
 日本が大きく変わる時だと思います。それは戦後以降後潜在されていた日本精神があの東北大地震で多くの死を目の当たりにして目覚めたこと、戦後、高度成長期を過ぎ、バブルがはじけ、経済において世界トップレベルの座からすべり落ち、経済至上主義で足り続けた戦後の日本人が振り返りの時期にあること、そして80歳の石原慎太郎さんの話しにもありましたが今回の国政復帰は『最期の御奉公』であるという言葉、戦前生まれの方、戦争を体験された方々の多くの方が同じ思いなのではないでしょうか。戦後、多くの方が戦前、戦中のことを語ることを拒んでこられた様に思います。しかし、最近、この間違った日本を、間違った戦争歴史観を払拭する為に残り少なくなった自分の人生の中で【生き様】を語ることが最期の御奉公と思い語っていただける機会が多くなった様に思います。
 この三つの要因が重ね合った今、日本は変わる、そう信じたい。美しい国日本を取り戻す為に【一燈照隅 万燈照国】






※こちらのコラムは、弊社情報誌「ありがとう。」vol.44」に掲載しています。


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平成25年11月 悠久の大義

  • 投稿日:2012年 11月 1日

若葉が美しく、

風薫る、爽やかな季節になりましたが、皆様方におかれましては、益々、ご健勝のこととお慶び申し上げます。


母の日を先日迎え、

3月の末に、母を亡くした私には、母の日のプレゼントをする相手が無くなった寂しさを、感じる1日でありました。
離別から2カ月程が過ぎましたが、母親の有難さを、常々感じる事が、たくさん有ります。
人は、母親の背景や教え、生き方等、多くの物を潜在的に又、顕在的に引き継ぎ、強く影響を受けている様に思います。
私の、人間形成の基礎になっている様にも思うのです。
仕事に対しても、私は他人によく「仕事をするとは人間としての使命である」と話しをさせていただくのですが、幼少の頃より「仕事をしない人間は、生きる価値がない」と繰り返し聞かされたのを思い出します。
商売人の子供として育った、私の仕事に対する想い・情熱・姿勢というものは、振り返ってみれば、幼少の頃から父母の背中を見て『仕事とは』ということを教えられたおかげで出来上ったのだと思いますし、今日の自分が有るのだと思います。 又、神仏に対しての畏敬の念についても、厳しく教えられました。
日本人の信仰は、唯一神ではなく、八百万の神々に対する、神観の中、『人は見てなくても神様は見ておられる、悪い事はしてはいけない、ばちが当たる』『神仏には手を合わせなさい』等、良く言われたものです。又、人に対しては『人には何事においても良くしてあげなさい』『嘘をついてはいけない』『親切にしてあげなさい』等、『人として徳を積む生き方をしなさいよ』と、そして、信義ある生き方を学んだ様に思います。
私が「武士道」や「論語」について興味を持ち学ぶ様になった根本的な要素は、母の教えが有ったからではなかろうか...と思っています。
人並みではありますが、生前もっと親孝行が出来ていたらと...母に感謝。
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↑サン・リフォームの経営理念『先義後利』





平成24年10月 悠久の大義

  • 投稿日:2012年 10月 1日

街路樹の葉も

日ごとに黄色くなり、秋晴れの心地よい季節となりましたが、皆様方におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申しあげます。




















先日、

開催させていただきました秋のわくわくリフォーム祭には、多数のご来店を賜りありがとうございました。義援金として181342円集まり、皆様方の温かいご支援を大変嬉しく思っています。遅々として進まない復興の一助に必ずやなることと思います。


人財は群生する

過去の歴史を振り返った時、正に偉人がある地域から一時代に多く輩出されているのです。薩摩鹿児島の加治町という本当に小さな町では、明治維新最大の功労者である、西郷隆盛、海軍育ての親である山本権兵衛、日露戦争でバルチック艦隊を撃破した連合艦隊司令長官の東郷平八郎、日露戦争では満州軍総司令官であった大山巌、他にも西郷従道、黒木為禎など驚くほど多く輩出しているのです。
 又、長州山口では、萩市の松本村という小さな村で、吉田松陰先生が主催する松下村塾から多くの人財が輩出されています。松下村塾はわずか一年一カ月という本当に短い期間に79名の塾生を育て、その中から二人の内閣総理大臣、伊藤博文、山縣有朋、三人の大臣、山田顕義、品川弥二郎、野村靖という計五名の大臣を輩出したのです。しかし松下村塾では彼らは二流であったと言われています。本当の傑人は、維新を待たずして死んだ四天王と呼ばれた四名がいます。松下村塾の双壁といわれた、久坂玄瑞、西郷隆盛は彼のことをこの様に後に語っています。「今、俺が少しばかり手柄があったからといって皆にチヤホヤされるのは、額に汗が出るような気がする。もし藤田東湖先生や、久坂玄瑞、その他の諸先輩が生きておられたなら、到底その末席にも出られたものではない。それを、ああいう先輩が早く死なれたために、俺のような者が偉そうに言われるのは、恥ずかしゅうてならぬ。」と。
 又、双壁のもう一人である高杉晋作、私は彼の辞世の句が大変好きです。下りの句は野村望東尼がつけたといわれるものです。

『おもしろき こともなき世を おもしろく
   すみなすものは 心なりけり』
 つまりこの世を面白いと感じるかつらいと感じるか自分の心が決めることであって心の持ち方次第ということだと思います。

 そして、高杉晋作、久坂玄瑞とともに、松下門下の三秀と呼ばれた吉田稔麿、池田屋事件で討ち死に。そして入江九一彼は、禁門の変で自刃。又、この他にも松下村塾から多くの偉人を輩出しているのです。
 この様な『人財の群生』の大いなる要因は、尊敬する人物、憧れのある人物の存在であると思います。長州には吉田松陰、薩摩には西郷隆盛、彼らの存在こそが後に歴史を築き上げた人々を生んだのだと思います。そして教育であろうと思います。
 長州には幕末維新期に郷校(官学)の数は全国一位、寺子屋(私学)の数は全国二位、私塾(私学)の数は全国四位で全国トップの教育水準と底辺の広さが有り、幼少の頃より学びに対する姿勢が出き、吉田松陰という天才的教育者の下、人財が開花したのだと思います。
 薩摩には「郷中教育」というものがあり、少・青年期に居住する町内において集団教育を行い年長者が年少者を教育するシステムです。西郷隆盛は、前述の下加治屋町郷中の『二才頭(にせかしら)』という青年隊のリーダーをしていたのです。そして郷中教育の訓戒事項には、一、負けるな 二、嘘をつくな 三、弱いものいじめをするな というもので厳しく年長者が年少者を教育していました。
 今の時代に一番必要とされているのは、『正しい教育』ではないでしょうか、痛切に思います。





※こちらのコラムは、弊社情報誌「ありがとう。」vol.43」に掲載しています。


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