平成27年9月 悠久の大義

  • 投稿日:2015年 9月17日

空の青さに

幾分秋の気配が感じられ、朝夕は少しばかりしのぎやすくなりましたが、皆様方におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。
戦後70年という節目の年を迎え、終戦の日、若くして散っていった英霊の志や使命について深く考える中、素晴らしい記事を思い出しましたので、ご紹介いたします。

青年は

【致知 二〇一五年七月号】
 臨済宗妙心寺派の寺に妹三人の一人息子として生まれた。
小学校で教師に僧職を否定されたこともあったのだろう、青年は寺を継ぐのを嫌い、大学を出るとサラリーマンになった。
その日の気分だけで過ごす若者にとって、サラリーマンは気楽な稼業だった。
 ある日、会社の行事で講演会が開かれた。
講師は鎌倉円覚寺菅長の朝比奈宗源老師。
青年は寺の出ということで課を代表して講演会に出席する羽目になった。
寺を嫌った自分がなんで坊主の話を聞かにゃならんのか──。気分は乗らない。
青年は会場の片隅に座ると、早速睡魔に襲われた。と、朦朧とした頭に老師の声が響いてきた。
「人間は仏心の中に生まれ、仏心の中にいて、仏心の中に息を閉じよ」青年はムカッとなり、途中で会場を出た。
サラリーマンに話すのに仏教用語なんか使うな、現代語で勝負しろ──。
しばらくして、人事担当から電話が入った。
朝比奈老師が貴賓室に戻られたから、寺出身のよしみで老師にインタビューせよ、という。
面白い、天下の名僧とやらをからかってやろうじゃないか──。
 老師と対座した青年は、「私には仏心とやらが全く理解できません」と切り出した。
「お前さんは幾つじゃ」と老師。
「二十五歳です」「二十五歳か。それじゃ仏心は分からん」「どうしてですか」
「お前さん、わしの話をどこを向いて聞いておった?」「先生のお顔を見つめて聞いておりました」
「そうか。わしの面の皮一枚しか見ておらなかったのか。それじゃ仏心は分からん」
「どこを見たら仏心が分かるというのですか」「そうじゃな。人間の目に見えぬものを見るんじゃ」
「そんなもの、見えるわけがないじゃないですか」。
 そう吐き捨てる青年に、老師は「わしはお前さんと話をしているのが退屈じゃ。わしはもう帰るぞ」と立ち上がった。
「なぜ私と話をするのが退屈なんですか。理由を言って下さい」と青年はなおも迫った。
老師は真顔で言った。「わしにはお前さんが、一生は一回しかないことを意識して生きているとは思えん。そんな若造としゃべる気がせんのじゃ」「一生は一回しかないなんてことは、小学生だって知ってますよ」
 老師は青年を見据えて言った。
「ほう、そうか。それならわしが質問しよう。一生は一回しかないな。もう二度と人間に生まれることはないな」「はい」
「じゃ、聞くぞ。その二度とない人生をお前さんはどういう命題を持って生きていくのか。お前さんの人生のテーマを言ってみい」。
青年は息が詰まった。そんなことは考えてもみなかった。
「黙っていては分からん。お前さんの人生のテーマは何だ。さあ、言え。さあ」。
うろたえる青年に老師は続ける。
「一生は一回しかないというのに、二十五歳にもなって人生のテーマがないとはなあ。
人生には分かっているものが二つある。生と死だ。その生と死を結ぶ一回をどう生きるか。
こんな大切なことを分からんままに生きていていいと思うか」「思いません」
「だろう。だから古人は、一生一道、使命に燃えて生きろと言った。使命とは、お前さんは一体何に命を使っておるかということじゃ。さあ、言え。言ってみよ」。
 老師の気迫に青年はうつむくばかりだった。
 数日後、青年は「そうだ、自分は朝比奈老師のような人間になりたい」と決意、禅の一道に自分を投げ出し、以後の人生を禅僧として生き切った。
いまは亡き松原哲明氏の若き日の話である。
 生きる力の根源をこの逸話に見る。二度とない人生をどう生きるのか。
そのテーマを定めた時、そこに生きる力は湧いてくるのである。




平成27年7月 悠久の大義

  • 投稿日:2015年 7月 2日

ひまわりが

日に日に背を伸ばすこの頃、
皆様方におかれましてはお元気でお過ごしでしょうか。

先日開催

させていただきました【ショールームオープン7周年祭】には
大変たくさんの一期一会クラブ会員様のご来店を賜り誠にありがとうございました。
中々お客様とお会いする機会も減り、又生の声を聞く事も少なくなった中、
イベントでお会いでき、お話しを賜ることは、大変嬉しく2日間楽しい気持ちで過ごすことができました。
本当にありがとうございました。感謝の気持ちでいっぱいです。


早いもので

弊社も8月1日より、9年目のスタートを切ります。
皆様方のお陰をもちまして、今期も無事、決算を終えることができそうです。
設立以来8年間増収増益というありがたい決算を迎えられることはお客様のご支援のお陰であり、
社員一人一人の努力の賜物であると思っています。
8年前、会社設立に当たり、義憤に駆られ、高い志を立て、経営理念を掲げ、
『地域社会への貢献』『社員幸福の実現』『永続の為の利益の追求』の三本の柱を立て
【先義後利】の精神で世の為人の為となる企業を目指して邁進して参りました。
お陰様で住宅リフォーム業において山口県東部においては売上高1位となることができ、
一期一会クラブ会員様の会員数も3300名となり本当にたくさんのお客様とご縁をいただける様になりました。
又、多くのスポーツ大会を開催させていただける様になりました。

本当にありがたいことであります。
でも人間の性とは、恐ろしいもので順風であればあるほど現状に甘んじ人間の煩悩に惑わされ、
自分を見失ったり、高慢になったり、
知らず知らずに相手の声の真実を受け止めることができなくなっていたり、
『言葉は伝わっているだろう』、『心は通じているだろう』という錯覚にとらわれ
少しずつ人との関係性のずれが生じ負のスパイラルを生んでいくのであろうと思います。
9年目をスタートするに当たり、創業時の大志の下、初心に立ち返り、日々精進して参ります。


以前学んだ

話の中に、壁にぶち当たった時、人は、外的要因のせいにしようとする本能がある。
しかし、真実は内的要因すなわち自分自身の中にあるのである。
自分自身を疑い現状に甘んじることなく学び、自己改新し、
自分自身の人間の品質を上げるしか壁を乗り越えることはできないのだと...。
そして、言葉は中々伝わるものではない。
ましてや心は中々通じ合うことはできない。
だから言葉に心を込めて大切にしなくてはいけないのだとそして心を合わせることから始まるのだと...。


先月、

弊社の船津次長と出張の帰りに長野の善光寺に参拝して来ました。
7年に1度の御開帳ということでたくさんの人が詣でておられました。
今回の御開帳では回向柱の御札と商売繁盛のだるまをいただいてきました。

身は茲(ここ)に心は信濃の善光寺 導き給へ弥陀の浄土へ


代表取締役 中村壽秀

 

【御開帳とは...】数え年で7年に1度、秘仏である御本尊の御身代わり
「前立本尊」(鎌倉時代・重要文化財)を本堂にお迎えして行う「善光寺前立本尊御開帳」。
仏都の春、御仏とのありがたいご縁が生まれます。
中央の阿弥陀如来の右手に結ばれた金糸は五色の糸にかわり、
白い善の綱として、本堂前の回向柱に結ばれます。
その回向柱に触れることは、前立本尊に触れるのと同じこと。
ここにありがたいご縁が生まれ、その功徳ははかりしれません。



↑御開帳だるま


平成27年5月 悠久の大義

  • 投稿日:2015年 4月24日

緑に包まれた

清々しい季節を迎え、
皆様方におかれましては
益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。

日本人だと

いうことを実感する機会は多々ありますが、国歌である「君が代」を斉唱する時がそのひとつです。
オリンピックの表彰式やサッカー日本代表の試合で「君が代」が聞こえてくると
日本人であることを意識される方も多いと思います。

「君が代」は歌うのは少し難しい曲です。
他国の国歌とは違い短調を基調としたメロディでレの音で始まり、
四七抜き音階という五つの音階の日本音階です。
西洋音階に慣れた耳には馴染みがないです。メロディが日本の音なのです。
歌詞と旋律が一致していない雅楽的な曲ということです。

歌詞においては、『君』とは天皇のことなのか、別の王朝であるのか、という議論や
『君』は貴方という意味だったという解釈が存在します。
それはこの原歌が10世紀平安初期の古今和歌集の賀詞にあり、
この時代の『君』の解釈は天皇をさすとは限らないという点にあります。
そして後世に伝わるにつれ解釈が変わってきたという側面があります。
『君』が何を意味するかということについて曖昧なのです。
ちなみに国歌の歌詞としては世界最古なのです。
古今和歌集という時代と歌の内容から、この歌詞は恋の歌だという説もあります。
『君』とは大切な貴方という意味です。恋歌が国歌というのもとても素敵なことだと思います。

他国の国歌の意味を見てみると、
「圧政にあらがう我らのもとに、血まみれの旗を...」フランス
「砲弾が赤く光を放ち宙で炸裂する中...」アメリカ合衆国
「立て奴隷となるな、血と肉もて築くよき国...」中国
「武器を取れ、武器を取れ...」ポルトガル
「たとえ敵に蹂躙されようとも、我らの武力で奪い返す...」ポーランド
どれも勇ましい歌詞で戦い、血、武器、戦争の匂いに満ち溢れています。
世界ではこれが国歌なのです。戦場や革命時につくられ軍歌が国歌になったケースが多いようです。
国歌を歌うことで国家を意識し、戦うために勇気を鼓舞するのです。

そもそも日本では明治以降、西洋国家が帝国主義の下にアジアに植民地を展開した際に
その西洋国家勢力に対抗するためにまとまる必要性があり国家という概念が出来たのだと思います。
それ故、国歌の意味と必要性が諸外国とは異なるのです。

『君が代』には戦いと血の匂いを感じません。そこには直接的には戦いの言葉はありません。
多くの国が戦いの歌としての国家であるなか、
日本は「恋歌」が国歌だとすると素敵なことだと思いませんか。
もちろん恋歌だと断定もできませんが、
ひとつの言葉に様々な意味を重ねられる多様性が日本語の良さではないでしょうか。
「いつまでも長く平和でありますように」と平和の歌と取るのもよし。
「愛する人の命がいつまでも続くように」と恋文と取るのもよし。
わずか32文字の中に様々な思いが込められていて、
それを感じることが出来ることがすごいことだと思います。
私はこの美しい日本の国歌に敬意と誇りを持つことが大切なことなのだと思います。





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