令和2年1月 悠久の大義

  • 投稿日:2020年 1月 6日

新年明けましておめでとうございます。

旧年中はひとかたならぬご厚情を賜り誠にありがとうございました。皆様方におかれましては健やかなる新春をお迎えのこととお喜び申し上げます。本年も変わらぬご愛顧を賜ります様よろしくお願い致します。






即位礼正殿の儀

10月22日、天皇陛下には、皇居・宮殿「松の間」で「即位礼正殿の儀」に臨まれ、内外に即位を宣明されました。

~天皇陛下 おことば~
 さきに、日本国憲法及び皇室典範特例法の定めるところにより皇位を継承いたしました。ここに「即位礼正殿の儀」を行い、即位を内外に宣明いたします。
 上皇陛下が三十年以上にわたる御在位の間、常に国民の幸せと世界の平和を願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その御心をご自身のお姿でお示しになってきたことに、改めて深く思いを致し、ここに、国民の幸せ世界の平和を常に願い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います。
 国民の叡智とたゆみない努力によって、我が国が一層の発展を遂げ、国際社会の友好と平和、人類の福祉と繁栄に寄与することを切に希望いたします。

 「まるでファンタジー」―ネット空間にそういう言葉が躍った。即位礼正殿の儀が始まった途端、前日から降り続いていた雨が上がり、青空が広がり、やがて大きな虹が皇居上空にかかったのです。東京気象庁の発表ではその日の晴れた時間はなんと8分間だけだったそうです。先日村岡知事とお話しする機会があったのですが、知事も来賓として出席されておられ、海外からの来賓も多数おられる中、どよめきが起こったとおっしゃっていました。又、富士山の初冠雪を甲府地方気象台の職員が確認したのが、安倍首相の先導による聖寿万歳の直後だったというから、まさに瑞兆です。今回の御代替りは国民が素直に新帝陛下の御即位を喜ぶ気持ちを表すことが出来ました。昭和から平成の御代替りは昭和天皇の崩御に伴う諒闇がありその後での御即位でしたし、極左勢力の暴力行為などもありました。今回は当時とは違い反天皇デモもごく小規模なものにとどまり、国民挙げてのお祝いムードが醸成されたと思います。
 又、外に感じたことは、日頃は天皇陛下に対する尊崇の念が乏しいと思われる左派勢力の政党や学者、メディアなどから天皇や御代替りに対する批判があまり聞かれなかったことです。その理由ですが、ひとつには圧倒的な国民の祝意という現実に対してものを言えなかったということがあると思います。そして、もうひとつは、これまでとは違う方法で天皇、皇室で貶めることができるという道筋を彼らが見つけているからだと思われます。それは万世一系の皇統、つまり「男系継承を途絶えさせるための『女系天皇』の導入」という策略です。歴史上一例もなかった「女系天皇」への道を開くことで天皇の正統性に傷をつけ、権威を落としたうえで、倒そうという道筋です。

 ですから、万世一系を守り誇りある日本の伝統を守るべく「女系天皇」、「女性天皇」の意味をしっかりと理解し、神国日本を守っていかなければと思います。






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令和1年9月 悠久の大義

  • 投稿日:2019年 9月18日

秋晴の候、

皆様方におかれましては、益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。






先日開催

させていただきました【下松本店ショールームオープン11周年祭】、【岩国店ショールームオープン2周年祭】には、大変たくさんの一期一会クラブ会員様のご来場を賜り、誠にありがとうございました。心より感謝申し上げます。
2会場で皆様にご協力いただいた義援金は震災被災地の方々に届けさせていただきます。ご協力ありがとうございました。

恒例の

【秋のわくわくリフォームまつり】を下松本店は9月28日・29日、岩国店は10月12日・13日に開催させていただきます。日頃のご愛顧への感謝の心を込めて社員一同おもてなしをさせていただきます。皆様御誘いあわせの上お越しいただければ幸いでございます。

自反尽己

とは自らに反り己を尽くすことである...自反とは指を相手に向けるのではなく自分に向ける。すべてを自分の責任と捉え、自分の全力を尽くすことです。
 自反は孟子がよく説いた言葉です。
「ここに人有り。その我を持つに横逆を以ってすれば、則ち君子は必ず自らに反るなり」
 ここに一人の男があって、自分に対して非道無礼な態度を取るとしたら、相手を批判するのではなく、有徳の人は必ず自分を反省する、というのです。
 この自反に尽己を加え、一つの言葉として提唱したのは安岡正篤先生です。先哲の教えを凝縮すれば、この一語に帰すといってもよいのではないでしょうか。

 禅の名僧、山本玄峰師があるところで講演し、それを聴いていた刑務所の所長が、この話を是非受刑者たちに聴かせたいと思い、刑務所はすぐ近くだから、ちょっと寄って話をしてほしいと頼んだ。だが、次の予定があると侍者は断った。
 玄峰老師はそれを制して十分くらいなら、と刑務所に立ち寄ることにした。
 にわかに集められた受刑者たちはざわめいていたが、その人たちを前に玄峰老師は開口一番、「済まんかったなぁ」と謝ったという。
 仏法という素晴らしい教えがあるのに、坊さんが怠けて広めないでいるために、皆さんにこんな不自由をさせてしまっている。本当に申し訳ないと詫びたのである。会場は静まり返り、涙する姿があちらこちらに見られたという。
 見知らぬ人たちが罪を犯したことも自分の責任と捉え、自分が出来る精一杯を尽くす。
 玄峰老師は自反尽己に徹した人であったのです。
 幸田露伴の『努力論』で「大きな成功を遂げた人は、失敗を人のせいにするのではなく、自分のせいにするという傾向が強い」と述べています。
 失敗や不運を自分に引き寄せて考えることを続けた人間と他のせいにして済ますことを繰り返してきた人間とでは、かなりの確率で運のよさが違ってくるのではないでしょうか。
 iPS細胞でノーベル賞を受賞した山中伸弥氏は「うまくいった時はおかげさま。うまくいかなかった時は身から出た錆」を信条にしてきたそうです。松下幸之助氏は「僕はな、物事がうまくいった時にはいつも皆のおかげと考えた。うまくいかなかった時はすべて自分に原因があると思っとった」とおっしゃっています。
 
 自反尽己...人が生きていく上で、もっとも大事な根幹がこの四文字に息づいていると思います。







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▲孟子
中国戦国時代の儒学者。孟子の「子」は先生という意味。孔子の教えを受け継ぎ儒教では孔子に次いで重要な人物であり、そのため儒教は別名「孔孟の教え」とも呼ばれる。あるいはその言行をまとめた書『孟子』(もうし)。性善説を主張し、仁義による王道政治を目指した。


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▲山本玄峰
1887年に目を患い失明(わずかに光は感ずることができたという)したため、弟に家督を譲って四国八十八箇所の霊場巡りに旅立つ。7回目の遍路の途上高知県の雪蹊寺の門前で行き倒れとなったところを山本太玄和尚に助けられ、修行を始め、後に雪蹊寺の住職となる。

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▲幸田露伴
『風流仏』で評価され、『五重塔』『運命』などの文語体作品で文壇での地位を確立。尾崎紅葉とともに紅露時代と呼ばれる時代を築いた。擬古典主義の代表的作家で、また漢文学・日本古典や諸宗教にも通じ、多くの随筆や史伝のほか、古典研究などを残した。

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▲安岡正篤
戦後、自民党政治の中で東洋宰相学、帝王学に立脚し、「実践的人物学」、「活きた人間学」を元に多くの政治家や財界人の精神的指導者や御意見番の位置にあった。財界にも多くの心酔者がおり、三菱・近鉄・住友グループ・東京電力など多くの財界人をも指南していたとされる。

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▲山中伸弥
日本の医学者。京都大学iPS細胞研究所所長・教授、カリフォルニア大学サンフランシスコ校グラッドストーン研究所上席研究員、日本学士院会員。「成熟細胞が初期化され多能性をもつことの発見」により2012年のノーベル生理学・医学賞をジョン・ガードンと共同受賞した。


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令和1年7月 悠久の大義

  • 投稿日:2019年 7月 1日

盛夏の候、

皆様方におかれましては、益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。






先日開催

させていただきました【下松本店ショールームオープン11周年祭】、【岩国店ショールームオープン2周年祭】には、大変たくさんの一期一会クラブ会員様のご来場を賜り、誠にありがとうございました。心より感謝申し上げます。
2会場で皆様にご協力いただいた義援金は震災被災地の方々に届けさせていただきます。ご協力ありがとうございました。

5月12日は、

母の日でした。
 母という字はやさしい字ですね。母の字の中の点々は、お母さんの流した涙のようにみえると、昔、ある夜間中学校の生徒が言っていました。
 母が自分を育てるために、どれだけの涙を流してきたかを知っていたが故に、母の字の点々に涙を連想したのでしょう。
 母に関しては忘れられない二人の先達の言葉があります。
 一つは親鸞の教えの伝導者、暁烏敏(あけがらすはや)の詠んだ歌です。 

十億人の人に十億の母あらむも

わが母にまさる母ありなむや

 十億の人に十億の母がある。
 しかし、自分にとっては自分の母こそが最高の母だという歌です。
 母が子に対して注いできた無償の愛が子としてそう感じせしむるのです。
 母と子の理想のあり様を詠んでこれ以上の言葉はない。時代がいかに変わろうとも、この母と子のあり様は変わってほしくないと思います。
 日本には、全国津々浦々に、こういう母がたくさんいたのです。こういう母が幾世代にもわたって連綿と続いてきたことが日本を今日にあらしめたのです。
 もう一つ忘れられないのは坂村真民さんの詩です。

念ずれば花ひらく
苦しいとき母がいつも口にしていたこの言葉をわたしはいつのころからかとなえるようになった
そうしてそのたびわたしの花がふしぎとひとつひとつひらいていった

 38歳の時にご主人が42歳の厄を越えずに急逝、女手一つで5人の子供を育てる苦しい日々の中で、お母さんが愚痴をいう代わりに口にしていた言葉―『念ずれば花ひらく』その言葉が真民さんの生涯を貫く言葉となったのです。
 母がいつもどういう言葉を口にしているか。その言葉はいつしか、子供の人生を左右する大きな力になる。そのことをこの詩は教えてくれています。
 明治期、女子の教育の大事さに気づき、実践女学校を創設した下田歌子はこういう言葉を残しています。

「社会風潮の清渦は、その源男子にあらずして女子にあり...まことに揺籃(ようらん)を揺(ゆる)がすの手は、以て能く天下を動かすことを得(う)べし」
 母親がその人格の光で、どう子供を照らしていくか、それは国のあり様をも決定していく力になるということです。その通りだと思います。
 その母のあり様が当今、揺らいでいるのではないでしょうか。
~致知別冊「母」より~
 
 私も母を亡くして9年という月日が過ぎました。歳を重ねる毎に母からいただいた愛というものを心から感じております。
 母の背景や教え、生き様から多くの物を学び強く影響を受け、人間形成の基礎になっていると思います。
 『母の無償の愛』その愛に勝る愛は無いと思います。母に感謝。





ちょっとひとこま

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2019年4月28日に開催された「中村ソフトボール大会」で、始球式をしました。(サン・リフォーム協賛大会)
とても緊張しましたが、久々の投球に心躍りました。
やっぱりスポーツはいいですね。



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