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特集:第15回 松下幸之助人生をひらく言葉

「人間は無限の力を持っている」

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 いろいろと考えてみますとですね、われわれ人間は無限の力を持っている。お互い個人というものは無限の力を持っている。そう言うと少しオーバーな言い方ではありますけどね、われわれは限りない力を持っていると言ってもいいと思うんです。その力を発揮するような情勢に置かれているかどうか。発揮される情勢に置かれていなかったら力は出ない。どうしても、発揮するにはですね、そういう発揮されるような環境に置かれるということが必要やないかと思うんです。

昭和四十三年、

久しぶりに北海道を訪れた松下幸之助は、ふと、『北海道がもし独立国であったら、この発展はさらに大きなものになっていたのではないか』と感じました。
 というのは、北海道よりまだ北にあり、人口も同じくらいのスウェーデンやフィンランドなどの北欧の国々は非常に発展をしている。ところが、北海道は明治時代から中央政府によって本格的に開拓され、その後も、政治のかなりの部分がその指示の範囲で行われてきた。だから、その範囲の創意しか生まれてこなかった。もし北海道が独立国だったら、自主独立の立場で、創意工夫をこらし、積極的に国家経営を行って、北欧三国をしのぐ発展を生み出していたのではないか、と考えたのです。そこで、雑誌のインタビューや講演会で北海道独立論とともに自主独立の気概の大切さを訴えたのでした。
 こうした発想は、松下の事業や人生のなかから出てきていると言えましょう。大阪電灯に勤めていた二十歳の頃に肺尖カタルにかかり、以来、寝たり起きたりの生活を余儀なくされた松下は、みずから会社を起こしてからも、仕事をすべて自分が先頭に立って行なうのではなく、従業員を信頼し、任さざるをえませんでした。
 たとえば、昭和の初め、松下がまだ三十過ぎで、従業員も少なかった頃のことです。松下は、金沢に出張所をつくりたいと考えましたが、病身のため自分が出向いて準備をすることができません。そこで、二十歳の社員に白羽の矢を立てました。
「実は、今度金沢に出張所を出したいと思っているんや。ついては君、主任として小僧さん二人ほど連れて行って開設してくれんか」
「そんな大役が私に務まるでしょうか。私はまだ経験も浅いですし...」
「いや、維新の志士たちは十代で大いに活躍しているじゃないか。君なら必ずできるよ。資金は三百円持って行って、それで適当なところに家を借り、君の思うようにやればいい。自信を持ってやってくれたまえ」
「分かりました。やらせていただきます。徹底的にやってみたいと思います」
 このように任された若者は、大いに発奮し、立派にその責任を果たしたのでした。
 このような、さまざまな体験と思索を通じて松下がたどり着いたのが、冒頭の人間に対する見方、考え方だったのです。

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松下幸之助氏とは、中村社長が尊敬する人物の一人。
パナソニックの創業者である松下幸之助氏が生前に語られたお言葉は英知と洞察にあふれています。
この特集ページでは、毎号ひとつずつ皆様にご紹介いたします。(PHP出版の書籍より)

【松下幸之助】日本の実業家、発明家。
パナソニック(旧社名:松下電器産業、松下電器製作所、松下電気器具製作所)を一代で築き上げた経営者である。異名は経営の神様。自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ。

PHP総合研究所 研究顧問 谷口全平
松下電器の創業者である松下幸之助は、資金も学問もなくしかも病弱。
「徒手空拳」ですらなく、マイナスからの出発であった。
にもかかわらず、かにして成功を収めることができたか?
本書は波瀾に満ちた94年生涯で語られた【人生をひら言葉】を軸に、松下幸之助の信条や経営観、人間としての喜びを解説した。「勝てばよし」がまがり通る今日、「なぜ生きるのか」を問う人生の書である。