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特集:第19回 松下幸之助人生をひらく言葉

「正しさから真の勇気が生まれる」

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 良心に顧みてこれが正しいと思ったら、私はそれにふさわしい勇気が湧いてくると思うんです。そういうものに立たなければ、勇気は湧きませんな。湧いても非常にかよわい勇気です。それはものの役に立たない。正しさから生まれる勇気は真の勇気やと思うんです。この正しさは絶対譲れない、この正しさは通さないといかんということで出てくる勇気は、気の弱い人をも力強くします。正義に立脚した場合のみほんとうの勇気が湧いてくる。そんな感じを持っているんです。

第二次世界大戦後、

日本のエレクトロニクス技術の遅れを痛感した松下幸之助は、昭和二十七年、オランダのフィリップス社と技術提携、合弁で松下電子工業を設立しました。
 資本金は松下電器が五億円であるのに対し松下電子工業は六億六千万円。設備投資は当時松下電器が四億円であったのに十億円もありました。
 それだけ莫大な費用をかけて出発したにもかかわらず、最初の何年間かは必ずしも順調にはいきませんでした。
 創業から三年ほど経ったときのこと、記者会見があり一人の新聞記者が質問しました。
 「あなたは通産省や銀行、あるいは社内の人たちもあまり賛成でなかったフィリップスとの技術提携を決断し、たくさんの資本を投下して立派な工場をつくられた。けれども、経営成績はどうですか。聞くところによると、もうひとつ成果があがっていないと聞いておりますが...」
 松下は正直に答えました。
 「その通りです。不景気ということもあったのですが、成績があがっていません」
 「将来はどうですか。あなたの技術提携は失敗だったのですか」
 松下はきっぱりとこう答えました。
 「私は絶対に失敗だとは思いません。何回か失敗ではないかと思って反省もしました。しかし、必ず成功すると信じています。なぜかというと、私がフィリップスと技術提携をしたのは松下電器発展のためでもなければ、松下幸之助という名前を世間に広めるためでもありません。日本のエレクトロニクス工業を世界の水準に早くもっていきたいという思いで行なったのです。だから必ず成功すると思います」
 松下は、【何が正しいか】ということを常に考え、【正しさ】に従って物事を行なうよう心がけていました。
 松下にとって【正しさ】とは【自然の理】であり、世と人の繁栄、平和、幸福に結びつくことでした。松下は私心にとらわれず正しさや理に従い、衆知を集めて努力すれば必ず物事は成るものだという強い信念を、長い事業体験のなかから培ってきていたのです。


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▲株式会社フィリップス・ジャパン
1952年フィリップス白熱電球製造株式会社(オランダ本社)と松下電器産業株式会社が合弁会社、松下電子工業株式会社を設立。
1953年 松下電子工業株式会社の100%出資会社として日本電子開発株式会社を設立。
フィリップス製品の日本への輸入販売を開始、日本でのフィリップスがスタート 。
1989年日本フィリップス株式会社の松下電器産業株式会社の持ち株(25%)をフィリップス株式会社が取得。
日本フィリップス株式会社はフィリップス株式会社100%資本となる。
2005年社名を株式会社フィリップス エレクトロニクスジャパンに変更。
2007年社名を株式会社フィリップス エレクトロニクス ジャパンから株式会社フィリップス・ジャパンに変更。


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松下幸之助氏とは、中村社長が尊敬する人物の一人。
パナソニックの創業者である松下幸之助氏が生前に語られたお言葉は英知と洞察にあふれています。
この特集ページでは、毎号ひとつずつ皆様にご紹介いたします。(PHP出版の書籍より)

【松下幸之助】日本の実業家、発明家。
パナソニック(旧社名:松下電器産業、松下電器製作所、松下電気器具製作所)を一代で築き上げた経営者である。異名は経営の神様。自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ。

PHP総合研究所 研究顧問 谷口全平
松下電器の創業者である松下幸之助は、資金も学問もなくしかも病弱。
「徒手空拳」ですらなく、マイナスからの出発であった。
にもかかわらず、かにして成功を収めることができたか?
本書は波瀾に満ちた94年生涯で語られた【人生をひら言葉】を軸に、松下幸之助の信条や経営観、人間としての喜びを解説した。「勝てばよし」がまがり通る今日、「なぜ生きるのか」を問う人生の書である。