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特集:第20回 松下幸之助人生をひらく言葉

「今という時はこの瞬間しかない」

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 私たちは、たとえ夢や目標を持っていたとしても、今やらねばならないことをついついあすに延ばし、自分がやらなければならないことをも、だれかが何とかしてくれるだろうとあてにしがちです。しかし、今という時は、その瞬間しかないことを考えれば、自分自身がその一瞬一瞬を精いっぱい生き切る、その積み重ねが充実した人生をつくり、若々しさを生み出すことになるのではないでしょうか。ぼく自身もこれまで、いくら年をとってもそういう若さを失わず日々を送りたいと心を燃やしてきました。

松下幸之助が七十歳代の半ばに、

ある縁で平櫛田中氏と出会い、話を聞く機会がありました。
 平櫛氏は明治五年生まれ、明治、大正、昭和の三代にわたって日本の木像彫刻界の第一人者として活躍した人物で、当時、すでに百歳近くになっていました。
 そのとき平櫛氏は松下にこう言ったのです。
「松下さん、六十、七十ははなたれ小僧、男ざかりは百からですよ」
 この言葉は平櫛氏の口癖で、他にも、「今やらねばいつできる。おれがやらねばだれがやる」という言葉を好んでいました。松下は、『普通なら隠居していてもおかしくない年頃なのにずいぶん気持ちの若い方だな』と驚き、かつ勇気づけられました。そして帰りに、「六十、七十ははなたれ小僧、男ざかりは百から百から」という色紙をもらったのです。
 それから数年後、松下は、平櫛氏が百歳になったのを機に、向こう五十年分の木彫用木材を買ったということを何かで読み、またまた驚かされたのでした。
 『お目にかかったときに、ずいぶん気持ちの若い人だということは感じていたものの、百歳を越えてなお五十年分の木彫用木材を積んで制作意欲を持ち続けておられるということからすると、「男ざかりは百歳から」と言われたのも、口先だけのことではない。やはりほんとうに自分の芸術を完成させるには、あと五十年は木を彫り続けなければならないという執念とも言える強い思いを持っておられるのだ』
 自分より二十二歳も年上の平櫛さんが、今なおみずからの仕事に旺盛に取り組む姿勢に感動し、大きな励ましを受けたのです。
 平櫛氏は昭和五十四年、百八歳の誕生日を目前に、五十年分の木材を使い切ることなく亡くなりました。松下はそのことに触れこう記しています。
 「木材を残したとはいえ、最後まで仕事への情熱、意欲を持ち続けられたことからすれば、平櫛さんは立派に人生を生き切った人、生命を燃焼しつくした人と言ってもようのではないか。考えてみれば、百歳を越えてもあれだけお元気で若々しかったのは、常に夢や目標を持ち、それに向かって『今やらねばいつできる。おれがやらねばだれがやる』と、今という一瞬を精いっぱい生きておられたからだという気がする」


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▲近大彫刻界の巨匠 平櫛田中(ひらくしでんちゅう)/左画像 1872生~1979没。
満107歳の長寿を全うした彫刻家としても広く知られている。
岡山県井原市に平櫛田中の作品を保存展示し、その偉業をたたえると共に、文化の向上に資するための施設「田中美術館」がある。
右画像は代表作『幼児狗張子』【明治44(1911)年井原市立田中美術館】
モデルは長男の俊郎。ふっくらした頬、何ともかわいらしい生き生きとしたその表情は、見る者を惹きつける。他にも6代目尾上菊五郎をモデルに、戦中のブランクを経て、22年の歳月をかけて完成した『鏡獅子』現在国立劇場正面ホール展示中。


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松下幸之助氏とは、中村社長が尊敬する人物の一人。
パナソニックの創業者である松下幸之助氏が生前に語られたお言葉は英知と洞察にあふれています。
この特集ページでは、毎号ひとつずつ皆様にご紹介いたします。(PHP出版の書籍より)

【松下幸之助】日本の実業家、発明家。
パナソニック(旧社名:松下電器産業、松下電器製作所、松下電気器具製作所)を一代で築き上げた経営者である。異名は経営の神様。自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ。

PHP総合研究所 研究顧問 谷口全平
松下電器の創業者である松下幸之助は、資金も学問もなくしかも病弱。
「徒手空拳」ですらなく、マイナスからの出発であった。
にもかかわらず、かにして成功を収めることができたか?
本書は波瀾に満ちた94年生涯で語られた【人生をひら言葉】を軸に、松下幸之助の信条や経営観、人間としての喜びを解説した。「勝てばよし」がまがり通る今日、「なぜ生きるのか」を問う人生の書である。