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特集:第21回 松下幸之助人生をひらく言葉

「まず好きになれ」

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 やっぱり、その仕事に興味を持たなくてはいかんと思うんです。いやで仕方ないけれど一所懸命やることは、これは疲れますわ。すぐ肩がこります。すぐスカタン(間違い)するし、能率が上がらない。叱られる。不平が起こる。「けしからんやっちゃ」とこうなる。簡単ですね、成功の道と不成功の道はきわめて簡単だと思うのです。私は世の中というのは決してむずかしくないと思うんです。むずかしくないものをむずかしくするのはだれかというと、本人自身ですわ。ほんとうは坦々たる大道がひらけているんです。

高校野球は

プロ野球とはまた違ったおもしろさがあります。それは、プロには技術的にはとうてい及ばないものの、若い選手の一途さ、純真さに感動するものがあるからでしょうか。
 昭和八年八月十九日、全国中等学校優勝野球大会準決勝戦で学生野球史上に残る明石中学と中京商業との熱戦がありました。実はその日、三十八歳の松下幸之助は甲子園に行き、試合を観戦していたのです。
 第一試合は平安中学対松山中学。松下は一、二回を見て、平安の力が上だということを感じとったと言います。果たして、四対〇で平安中学の勝利となりました。第二試合は事実上の決勝戦と言われた待望の中京対明石戦。松下は三、四回を見て、力の均衡を見てとり、これは延長戦になるに違いないという予感を抱きました。
 やはりその予感通り、〇対〇で進み、九回裏の無死満塁という明石のピンチもついに中京の好機を逸するところとなり、延長戦に入りました。しかし、両投手譲らず、延長に次ぐ延長で、とうとう二十五回という大会史上のレコードをつくり、中京商が一対〇で明石を制したのでした。
 両軍持てる力を出し切っての戦いだっただけに、観客を魅了し、大きな感動を与えました。
 松下も手に汗を握って観戦し、最後まであきらめず精魂込めた中学生たちの姿に、『ここまでやらんといかんのか』と深い感動を覚え、非常に大切なことを教えられたような気がしたと言います。
 このような体験があるからでしょうか、松下は高校野球が好きで、テレビでよく観戦していました。そしてこう言うのです。
 「この酷暑のなかでも彼らは嬉々としてやっている。仕事もこんな気持ちでやれないものか。野球を楽しむように仕事を楽しむ、そうした心がまえを持つことができたらどんなにすばらしいことか。これは一見むずかしいようだが、各人の考え方、あるいは経営のあり方いかんによってできないことではない」
 そして、仕事のコツ、勘所をつかむためにも、まず仕事を好きになることである、自分の仕事が好きか、自分の仕事に興味を持っているかどうか、自問自答してほしい、と社員に訴えかけていました。」

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▲球史に残る熱戦。
16回でスコアボードが尽き、係員が急きょボードを継ぎ足し25回まで伸びていった。
この先、新たに100年の歴史が紡がれようとも、この記録が破られることはないだろう。
4時間55分の死闘となった。中京商の吉田正男は336球、明石の中田武雄は247球をそれぞれ1人で投げきった。



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松下幸之助氏とは、中村社長が尊敬する人物の一人。
パナソニックの創業者である松下幸之助氏が生前に語られたお言葉は英知と洞察にあふれています。
この特集ページでは、毎号ひとつずつ皆様にご紹介いたします。(PHP出版の書籍より)

【松下幸之助】日本の実業家、発明家。
パナソニック(旧社名:松下電器産業、松下電器製作所、松下電気器具製作所)を一代で築き上げた経営者である。異名は経営の神様。自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ。

PHP総合研究所 研究顧問 谷口全平
松下電器の創業者である松下幸之助は、資金も学問もなくしかも病弱。
「徒手空拳」ですらなく、マイナスからの出発であった。
にもかかわらず、かにして成功を収めることができたか?
本書は波瀾に満ちた94年生涯で語られた【人生をひら言葉】を軸に、松下幸之助の信条や経営観、人間としての喜びを解説した。「勝てばよし」がまがり通る今日、「なぜ生きるのか」を問う人生の書である。