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特集:第22回 松下幸之助人生をひらく言葉

「苦しさに堕してしまってはならない」

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 つらいときもありましょう。腹の立つときもありましょう。しかし、これはどこへ行ってもそういうことはあります。どんな場所でも、いいことずくめというのは世にありません。半分いいことがあれば、半分はつらいことであります。そのつらいことをつらいと考えるか考えないかということによって、すっかり人間が変わってくると思うんです。そのときにもっと深く物事を考えたならば、『これは何よりの勉強だ』という忍耐の心もできてまいりましょう。そのときにぐっと人間が育っていくと思うんです。

松下幸之助は晩年、

「大忍」や「忍耐」という言葉を揮毫することがよくありました。
 昭和五十二年の一月、松下電器で、社長交代の発表がありましたが、それは世間をあっと驚かすものでした。
 というのも、上から数えて二十五番目の若い取締役が社長に内定したからです。そこには創業者であり当時相談役であった松下の「二十一世紀に向かって新しい歩みを始める一大変革期にあって、それにふさわしい選び方が必要である」という思惑がありました。
 その新社長が就任してからしばらく経ったある日のこと、松下が、社長室に一枚の額を持って入ってきました。その額には「大忍」と書かれた色紙が収められていました。
「自分も同じ額を部屋に掛けておくよ。君がこの額を見るとき、私も見ているだろうと思ってくれたらいい」
 新社長は、就任以来、経営体質を強化し、さらに活力ある企業にするために、言うべきことを言い、大先輩であった三人の副社長に退いてもらうなど、信ずるところを行なっていきました。そういうところから、「あの男はクールで話しにくい」といった声も出ていたのです。
 その社長は退任後、「そうした私を心配してくれたのだと思う。人間、ときには辛抱も必要ということを私に教えるために、『大忍』の額をわざわざ持参されたと思う」と記しています。
 また、松下は、昭和五十五年、二十一世紀の日本を担う政治家や指導者を養成するために、神奈川県茅ケ崎市に松下政経塾を開塾しましたが、塾生が入る寮の各部屋にも、みずから心を込めて書いた「大忍」の額を掲げています。
 中国前漢の武将、韓信がその若き日、ならず者に辱めを受けながら、自分の志を遂げるためにその股をくぐった、いわゆる「韓信の股くぐり」の故事は有名ですが、松下も塾生たちに、韓信のように「大きな志を持てば大きな忍耐が求められる。大きく忍び、大いに忍んで大志を遂げてほしい」と心から願っていたのです。


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▲アーチ門レリーフ「明日の太陽」松下政経塾のシンボル、彫刻家・加藤昭男氏作でタイトルは「明日の太陽」。左に「力と正義」を表すひまわりを手にする男性像、右に「愛と平和」を表す鳩と女性像、その下に「困難」を表す雲を配し、この門をくぐる者はどの様な困難があろうとも「真理」に迫ろうとする構図になっている。


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松下幸之助氏とは、中村社長が尊敬する人物の一人。
パナソニックの創業者である松下幸之助氏が生前に語られたお言葉は英知と洞察にあふれています。
この特集ページでは、毎号ひとつずつ皆様にご紹介いたします。(PHP出版の書籍より)

【松下幸之助】日本の実業家、発明家。
パナソニック(旧社名:松下電器産業、松下電器製作所、松下電気器具製作所)を一代で築き上げた経営者である。異名は経営の神様。自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ。

PHP総合研究所 研究顧問 谷口全平
松下電器の創業者である松下幸之助は、資金も学問もなくしかも病弱。
「徒手空拳」ですらなく、マイナスからの出発であった。
にもかかわらず、かにして成功を収めることができたか?
本書は波瀾に満ちた94年生涯で語られた【人生をひら言葉】を軸に、松下幸之助の信条や経営観、人間としての喜びを解説した。「勝てばよし」がまがり通る今日、「なぜ生きるのか」を問う人生の書である。