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特集:第4回 松下幸之助人生をひらく言葉

「一歩一歩、カメの歩みのように。」

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一歩一歩というようなことをやっておっては遅れてしまうかわからないから、二歩三歩というように歩んでいかなければいけないということも、しばしば考えたことがございます。
そうは考えましたけれども、また考え直しまして、二歩三歩というのはどうも危ない。
けつまずくようなことがあるかもしれない。
だから、やっぱり一歩一歩がいちばんいいんだ。
じっとしていることは困るが、力強く一歩一歩踏みしめて進んでいく。
そういうようにやらないといけないということをまた考えたのであります。

松下幸之助は、大正七年に松下電器を創業しましたが、最初に売り出したアタッチメントプラグや二股ソケットが好評を博し、新製品もだんだん増えて、各方面から期待されるようになっていきました。その当時、配線器具メーカーとしては東京電気が圧倒的に強く、あとは二、三の名の知れた会社がある、というような状態でした。
 松下電器は、経営基盤がある程度固まったとはいえ、それらの会社と比べればもののかずではありません。松下は、何とかそれらに伍して配線器具界に進出したいと、キーソケットをつくろうと考えました。
 しかし、調査をしてみると、大変競争が激しいうえに研究しつくされていて改良の余地があまりなく、やれば、他のメーカーと激しい競争をしなければならないことが分かったのです。
 松下は、独自の性能や値段を出すことができないならムリをすることはない、それよりももっと改良、考案のしやすいものに改良を施して、製品を増やしていくほうが安全で有利だと考え、時節の来るまで延期をすることにしたのです。
 それは松下電器にとって大変つらいことでした。
 というのは、期待してくれているお得意先のほうから、「松下さん、なぜキーソケットをつくらないんか。つくらなければ、それだけをよそから買わなければならないじゃないか」と言われていたからです。
 松下は、採算がとれなくても、やるべきかとも迷いました。しかし、「あせったり、面目にとらわれてはならない。仕事はあくまでムリをせず、成り立つ基礎の上に立たなければならない」と思い直したのでした。
 松下は、幼い日に、商売の街大阪船場の商家で堅実経営に接してきたためか、事業を起こしてからも正道を一歩一歩堅実に歩むことが、結局は成功への近道であると考え、実行してきました。
 昭和三十八年には、新聞の一面広告にカメの絵を入れ、「松下電器はカメさんです」と『着実』をモットーとする会社の姿勢を訴えています。
 急速に進む時代変化のなかで、あせりが出たとき、この「一歩一歩の精神」を思い起こすこともまた必要なことではないでしょうか。

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~パナソニック広告の今は~
2015年3月23日掲載新聞広告
2014年より2020年にむけたドキドキワクワクな日本を考える集い「Wonders!」を展開。
サッカーブラジル代表のネイマール選手をパナソニックグローバルキャラクターとして起用。

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【松下幸之助】氏とは、中村社長が尊敬する人物の一人。
パナソニックの創業者である松下幸之助氏が生前に語られたお言葉は英知と洞察にあふれています。
この特集ページでは、毎号ひとつずつ皆様にご紹介いたします。(PHP出版の書籍より)
【松下幸之助】日本の実業家、発明家。
パナソニック(旧社名:松下電器産業、松下電器製作所、松下電気器具製作所)を一代で築き上げた経営者である。異名は経営の神様。自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ。

PHP総合研究所 研究顧問 谷口全平
松下電器の創業者である松下幸之助は、資金も学問もなくしかも病弱。
「徒手空拳」ですらなく、マイナスからの出発であった。
にもかかわらず、かにして成功を収めることができたか?
本書は波瀾に満ちた94年生涯で語られた【人生をひら言葉】を軸に、松下幸之助の信条や経営観、人間としての喜びを解説した。「勝てばよし」がまがり通る今日、「なぜ生きるのか」を問う人生の書である。