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vol.99 特集:第31回 松下幸之助人生をひらく言葉

「日本ほど結構なところはない」

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 日本人は長い歴史のあいだに、食事ひとつにも非常に繊細な考え方を生み出しましてね、そこにひとつの食文化というものが高まったわけですね。そういう価値判断ということを考えてみると、ぼくは非常に日本という国はうまくやっとるなと。これは再認識しないかんなと。われわれは欠点ばかりを指摘するだけではいかんと。みずから欠点を知ることも必要やけれど、みずからの誇り、みずからの長所もね、これまた再認識しないともったいないという感じがしましたな。今度アメリカへ行ってね。

松下幸之助は、

昭和三十八年五月、十年ぶりにアメリカの地を踏みました。それは五回目の訪問でした。その前年、『タイム』誌の表紙に松下の肖像画が掲載され、本文のなかで五ページにわたって松下と松下電器のことが紹介された関係で、松下夫妻が、ニューヨークのホテルで開かれたタイム社創設四十周年の祝賀会に招かれたからです。
 松下が初めてアメリカを視察したのは昭和二十六年のこと。
 そのときは、アメリカの繁栄ぶりに目を見張り、戦後の日本とアメリカのあらゆる面での格差を思い知らされたのでした。しかし今回は、日本が復興を成し遂げ、アメリカがすでにベトナム戦争を抱えて病みつつあったからでしょうか、松下は日本のよさに目を向けています。
 ある日松下は、牛肉ではなく、一度魚を食べたいと思って、泊まっているホテルのレストランでヒラメを注文しました。
 ところが松下の想像に反して、大きな皿にたくさんのヒラメらしきものを盛って出されたのです。
『これヒラメかいな』と食べてみると、肉でもなし魚でもなし、ヒラメの味がしません。それをアメリカの人たちはおいしそうに食べているのでした。松下は食文化の違いだからそれはそれでよいのだけれど、なにかアメリカ人が気の毒に思えたと言います。
 またボーイさんは、コーヒーを入れるときに、大きなカップに無造作に、なみなみと注ぎました。松下は、職場であれば茶碗にいっぱい注ぐかもしれないけれどと、こう言います。
 「しかし自分の家に帰ってくると、お茶はいっぱい入れずして、八分目、七分目ぐらい入れるというように、ある程度の配慮をしますね。またお客さんが来ますと、さらに考えて、きょうのお客さんはどのくらい入れたらいいか、ということを考えるほど繊細な心配りをします。これはやはり精神的な高まりだと思うんです。ひとつは伝統の教えるところだと思うんです」
 そして、海の幸、山の幸、川の幸が、繊細な心配りによって美しく料理され、四季折々に味わえる日本、「日本ほどあんた、結構なとこおまへんで」と言うのです。


四季折々の食材や器で季節感を醸し出す日本料理
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春は桜の花や花弁を。夏はガラス器に加え青竹を使用したり、旬の食材を用いることはもちろん、目でも季節を感じられる演出をしている。


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松下幸之助氏とは、中村社長が尊敬する人物の一人。
パナソニックの創業者である松下幸之助氏が生前に語られたお言葉は英知と洞察にあふれています。
この特集ページでは、毎号ひとつずつ皆様にご紹介いたします。(PHP出版の書籍より)

【松下幸之助】日本の実業家、発明家。
パナソニック(旧社名:松下電器産業、松下電器製作所、松下電気器具製作所)を一代で築き上げた経営者である。異名は経営の神様。自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ。

PHP総合研究所 研究顧問 谷口全平
松下電器の創業者である松下幸之助は、資金も学問もなくしかも病弱。
「徒手空拳」ですらなく、マイナスからの出発であった。
にもかかわらず、かにして成功を収めることができたか?
本書は波瀾に満ちた94年生涯で語られた【人生をひら言葉】を軸に、松下幸之助の信条や経営観、人間としての喜びを解説した。「勝てばよし」がまがり通る今日、「なぜ生きるのか」を問う人生の書である。

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