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vol.105 松下幸之助 人生をひらく言葉
「"静"に徹する」
戦国武将はことのほかお茶を愛した。殺伐(さつばつ)な"動"に対して茶道の"静"。物に対する心というか、物心一如というか、古来日本人は生活態度のなかにその両面を求め、"動"が激しければ激しいほど"静"を愛した。"静"に徹するとき、ものに動じない心の落ち着きが生まれてくる。お茶を立てているとき、飲んでいるとき、かりに大事が起こったとしよう。思わず茶杓(ちゃしゃく)を落とす、茶碗を壊す、これは決して茶人の姿ではない。変を聞いてなお沈着でいる茶人の心境は武芸の達人のそれと通ずるものがある。 |
真々庵は
松下幸之助が昭和三十六年、松下電器の社長を辞め会長になったのを機に、PHPの研究をもっと積極的に進めたいと、PHP活動の拠点として求めた邸宅です。敷地面積千五百坪、東山を借景にした池泉回遊式の庭園は四季折々の情緒をかもしだします。
苔や木々の若葉が萌える春には、一歩庭園に入ると全身が染まるような緑に覆われます。夏は夏で、白砂に映える木漏れ日が美しく、秋には楓の紅と松や苔の緑の対照がまた見事です。冬には、苔の上に松葉が敷かれ、冬独特の風情が生まれます。
松下は、真々庵に来ると、まずみずからつくった「根源の杜」の前で静かに手を合わせました。ときには、その前で座禅を組み、じっと瞑想にふけることもありました。その後、お茶室でお茶を飲み、それから若い研究員とともにPHPの研究をしたり、内外のさまざまな来客を迎えていました。
昭和四十二年秋、世界的に著名な歴史学者、英国のアーノルド・J・トインビー博士が来訪されたときのことです。松下はお茶を一服差し上げ、しばし歓談の時間を持ちました。そのときトインビー博士はお茶を飲み、庭を眺めながら、おおむね次のような感嘆の言葉を発せられたのです。
「日本の経営者というのはすごいものだ。轟音のすさまじい工場や厳しい競争の世界であわただしく仕事をしながら、一方でこのような静かな世界を持っている。静と動、静かに考えて積極的に行動する。静と動を行き来することによって、そこから誤りのないエネルギーが生まれてくるのではないか。日本の驚異的な経済発展の一因もこのようなところにあるのかもしれない」
現代人は忙しすぎる。人は時間に追われると、ともすると目先のことにとらわれ周りが見えなくなる。だからいい仕事もできない。忙しければ忙しいほど、意識して立ち止まり考える時間、ゆとりを見出す時間をつくる必要があるのではないか。トインビー博士はそのことを指摘されたのでしょう。
松下は、昭和三十九年から四十年にかけての不況のなかで、会長でありながら病気療養中の営業本部長に代わって営業の第一線に返り咲き、不退転の決意で販売制度の大改革に取り組んだことがありました。その忙しい日々のなかでも、たびたび真々庵に来て茶を立て、静寂のなかに身を置いて思索を重ねていたのです。
左上:【根源の杜】の立札には「宇宙根源の力は、万物を存在せしめ、それらが生成発展する
根源となるものであります。その力は自然の理法として、私どもお互いの体内にも脈々として働き、1本の草木にまで生き生きと満ち溢れています」と記載。
右上:真々庵を散策する松下幸之助。
左下:【根源の杜】前で座禅する松下幸之助。
右下:杉林と白砂が織りなす独特な空間。