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vol.110 松下幸之助 人生をひらく言葉

「一時の感情で事を決してはいけない」

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 人間というものはね、感情にとらわれたら主観的に見ますわね。それを努めて客観的に見て、そして是非を考えてみるというように自分はしてきたと思うんです。えらい生意気のようですけれども、何が正しいかというような点から物事を決定していたように思うんですね。それがすべて大きな災難にならずにやっていけた原因のように感じますな。ええ。だから、私はやっぱり事にあたって大切なのは、我にとらわれないということですね。やはりある程度のあきらめというものも必要やと思いますな。

松下幸之助には、

ある時期、顧問や相談役と言ってもいいような立場にいる人がいました。
 その人の名は加藤大観(たいかん)氏。
 昭和の初めに知りあい、昭和十二年から同二十八年に八十四歳で亡くなるまで、松下の側(そば)にいて松下の健康長寿と社員の安全息災、そして会社の発展を祈って、朝夕二時間の勤行(ごんぎょう)を一日も欠かさなかった真言宗の僧侶です。
 松下はこの加藤氏に愚痴や悩みを聞いてもらったり、何かにつけて相談をしていました。
 あるとき、一部の同業者が無茶な価格競争を仕掛けてきたことがありました。
 松下は、それが、『お互いに無茶な価格競争だけはやめておきましょう』と話をしていたあとだけに、その裏をかいたようなやり方に腹を立て、向こうがそうするのなら、徹底的に競争して、どちらかが倒れるまでやってやろう、という気になったのです。そこで、そのことを加藤氏に話しました。すると加藤氏はこう言ったのです。
「松下さん、私は反対ですね。これがあなた一人の商売であれば大いにやりなさい。しかし、あなたは今、大勢の人がついているのですよ。つまり、あなたは一軍の大将です。その大将が個人的な怒りを持って仕事をすることは許されません。『向こうがやるならこっちもやってやる』というのは、なるほど勇ましいけれど、それはいうなれば匹夫の勇(ひっぷ の ゆう)というものです。あなたはそれでいいかもしれないが、みんなが困ります。大将はそのようなことをするものではありません」
 松下は、どちらかといえば神経質で、何かあるとカッとするほうであっただけに、これではいけない、判断を誤ってしまうと反省をさせられたのです。
 そのとき加藤氏はまたこうも言いました。
「世の中というものは、出船もあれば入船もあるものです。一時的に逃げるお得意先もあるかもしれないけれど、そんなに心配しなさんな」
 結局、松下は安売り競争の渦中に入るのを思いとどまり、独自のやり方を貫きました。しかし、一時的に安売りした会社に流れたお得意も、加藤氏の言うように、松下のやり方が確実だということで、戻ってきたのでした。

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「大観堂」...パナソニックの発展に寄与した加藤大観氏の功績をしのんで、1956年に建立されました。

松下幸之助の経営観・人生観に触れられる「松下幸之助歴史館」は「操業者の経営理念を学び、その実践を未来に継承していく場」として作られたとのことで、主にパナソニックの社員教育に活用。
松下幸之助という傑物の生涯や名言の数々、そして生み出された製品の数々はとても興味深いもので、パナソニックと関係のない人でもいろいろな学びを得られる施設です。(大阪府門真市大字門真)

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松下幸之助氏とは、中村社長が尊敬する人物の一人。
パナソニックの創業者である松下幸之助氏が生前に語られたお言葉は英知と洞察にあふれています。
この特集ページでは、毎号ひとつずつ皆様にご紹介いたします。(PHP出版の書籍より)

【松下幸之助】日本の実業家、発明家。
パナソニック(旧社名:松下電器産業、松下電器製作所、松下電気器具製作所)を一代で築き上げた経営者である。異名は経営の神様。自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ。

PHP総合研究所 研究顧問 谷口全平
松下電器の創業者である松下幸之助は、資金も学問もなくしかも病弱。
「徒手空拳」ですらなく、マイナスからの出発であった。
にもかかわらず、かにして成功を収めることができたか?
本書は波瀾に満ちた94年生涯で語られた【人生をひら言葉】を軸に、松下幸之助の信条や経営観、人間としての喜びを解説した。「勝てばよし」がまがり通る今日、「なぜ生きるのか」を問う人生の書である。






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↑PHP研究所公式サイト
幸之助の思想や哲学、これまでの軌跡などがわかりやすくまとまったサイトです。