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特集:第6回 松下幸之助人生をひらく言葉

「伸びる方法は必ずある」

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ぼくはすべて経営者の思う通りになると思うんです。うまくいかない会社は、不景気やからあかんなと、売り上げも二五パーセントは落ちるだろうということを、そこの経営者が承認しているわけですな。ぼくは今までそれを承認しなかった。そんなバカなことない、どんなときにも伸びる方法はあるんやと、その方法を探さんだけやと、努力しないだけやと。努力すればできるんやと。そうなると言うてもぼくは承知しないと。必ずやれると。それで五十年間やってきた。それが今日の松下電器になったわけですね。

第1章 夢

 昭和四十九年は、太平洋戦争後伸び続けていた日本の実質経済成長率が、初めてマイナスに転じた年でした。前年の第一次石油ショック以来のインフレ下の不況に、松下グループの販売会社も深刻な状況に陥っていました。
 そうしたなか、翌五十年一月、販売会社社長懇談会が国立京都国際会館で行われました。松下幸之助はその会議で、「決意しなかったら事は成らない。できないと言っていては永遠にできない」と各社長に意識改革を迫りました。
「二五パーセントから三五パーセント売り上げが落ちそうです」と言う社長には、「そのあなたの考え方を変えてもらいたい。社員の人が三五パーセント下がりますわと言う。そうやろうなとあんたが得心したら、そうなるんです。そんなバカなことはないと反発し、三五パーセントよけい売るんだ、そのためにはこうしたらいい、ああしたらいいと考えて、それを社員に訴え動かせば、その通りになるんです」と訴えています。
 社長ができないと考えれば、それが部長に移り、社員に移り、またそれが小売屋さんにも移って、結局できなくなってしまう。
 不景気のときでも十軒のうち二軒は伸びているものだが、その二軒の経営者は〝不景気だからダメだ〟という大勢に甘んじず、やる方法は必ずあると考える人だと言うのです。
 その話は、みずからの体験を踏まえているだけに、力強く、説得力のあるものでした。
 松下は経営体験を通じて、理にかなったことは、衆知を集めて努力をすれば必ず成る、できないことはないのだという信念を培ってきました。実際、そのような信念でさまざまな苦難を乗り越えてきたのです。
 ですから、部下に大事な仕事を頼むとき、「私にはとうていできません」とひるむ社員には、「いや、君ならできる。必ずできるよ」と励まし、やる気にさせて任せてきたものでした。
 松下の考え方によれば、人生もまた経営です。
「自分の人生は必ずよくなる」という信念に立たなければ、よくなるものもならなくなってしまうのかもしれません。

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【松下幸之助】氏とは、中村社長が尊敬する人物の一人。
パナソニックの創業者である松下幸之助氏が生前に語られたお言葉は英知と洞察にあふれています。
この特集ページでは、毎号ひとつずつ皆様にご紹介いたします。(PHP出版の書籍より)
【松下幸之助】日本の実業家、発明家。
パナソニック(旧社名:松下電器産業、松下電器製作所、松下電気器具製作所)を一代で築き上げた経営者である。異名は経営の神様。自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ。

PHP総合研究所 研究顧問 谷口全平
松下電器の創業者である松下幸之助は、資金も学問もなくしかも病弱。
「徒手空拳」ですらなく、マイナスからの出発であった。
にもかかわらず、かにして成功を収めることができたか?
本書は波瀾に満ちた94年生涯で語られた【人生をひら言葉】を軸に、松下幸之助の信条や経営観、人間としての喜びを解説した。「勝てばよし」がまがり通る今日、「なぜ生きるのか」を問う人生の書である。