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vol.117 松下幸之助 人生をひらく言葉
「やる気に水をさすな」
ぼくは、ほとんど自分では何もできない男や。手紙でも何でもよう書かん。全部人にやってもらう。「君、こういうのをやったらええと思うが、どう思うか」「それはよろしいな」「そうやったら君、やってくれたまえ」と言うてやってもらう。そうしたら喜んでやる。ぼくの成功がかりにあるとするならば、結局みなの発意をぼくが追認すると、こういうことであって、出鼻をくじくようなことは言わない。何か発意があっても大部分は、「そら君、結構や、やったらできるで。できるはずや」と、決して出鼻をくじかない。 |
松下幸之助が、
大阪電灯で配線工をしていた二十歳の頃のこと、家庭に電気を引く作業をするなかで、ソケットに電線を取りつける作業に時間がかかっていました。
そこで、もっと簡単に、しかも間違いなく取りつけるようなソケットができないものかと苦心に苦心を重ね、ようやく一つの試作品をつくりました。
「これはよいものができた。会社のソケットをこれに替えてもらおう」
喜び勇んで、上司である主任のことろに持って行き、「ぜひ見ていただきたいものができました。これで配線がより効率よくいくと思います」と自信を持って説明したのです。
心野中でひそかに賛辞を待っていた松下に、主任は意外にもこう言いました。
「松下君、これはダメだぜ。問題にならんね。この程度のものであれば課長に話もできないよ」
松下は大いに期待をしていただけに、ガツンと頭を殴られたようなショックを受けました。
「ほんとうにダメでしょうか」
「まずダメだね。もっと工夫したまえよ」
仕方なく主任の前を去るとき、松下の目には、悔しさの涙があふれていました。
このことも会社を辞めて独立する一つのきっかけになるのですが、このような体験があったからでしょうか、松下は事業を起こしてから、従業員のやる気を尊重し、たとえば、何かを命じるときも、「このようにやろうと思うのだけれども、君はどう思う」と、部下の自主性が加わるように導いてきました。
松下は、「人間というものは、もともと働きたい、人のために役立ちたいという気持ちを持っている。だから、部下の自主性に従いつつ導くことだ」と言います。
冒頭の言葉は、松下電器の幹部に話した講話の一節ですが、晩年の松下が幹部にたびたび訴えていたことは、「部下のやる気に水をさすな」「部下から何か提案があったときには決して出鼻をくじいてはならない」ということでした。
壁コンセントがない時代の苦心作1918年(大正7年)当時、日本住宅にはコンセントがなく、電源は電灯ソケットから取っていた。夜は電灯ソケットを使い電気をともすため、他の電化製品を同時に使うことは難しかった。「アタッチメントプラグ」は電化製品のコードを電灯ソケットにつなぐための接続器具で、創業者(当時23歳)は使用済み電球の口金を再利用するなどのコストダウンを実現し、従来製品に比べて品質が良く価格も3~5割ほど安い「アタッチメントプラグ」を発売し、好評を得た。
左:アタッチメントプラグ 1918年(大正7年)右:2灯用クラスタ 1920年(大正9年)
パナソニックの創業商品・アタッチメントプラグは、現在も、屋台や漁船の照明などに使用されている