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vol.120 松下幸之助 人生をひらく言葉
「一人残らず愉快に働いてもらいたい」
今いちばんに深く考えていることは、大勢の従業員諸君が毎日を愉快に働いておられるかどうかという点である。願わくは一人残らず、その日その日を愉快に働いてもらいたい。そのときに、真に会社の発展も各人の向上も望みうるのである。このことは常に自分として希望し、考えているところであるが、さて最良の実行方法ということは、自分だけではなかなか気づきにくいのである。したがって、いかにすれば毎日を愉快に働けるかということは、諸君おのおのにも考えてもらいたい。 |
昭和十四年春、松下幸之助が四十四歳のときのことです。
広島県の呉に仕事で出かけたあと、夜行列車で早朝大阪駅に帰り着き、直接会社に出たことがありました。
その日はあいにくの雨。会社の近くまで来ると、各工場の出勤時間とかさなり、通りは大勢の社員の傘で埋まっていました。
松下は、『いつのまにかこんなにも多くの人を擁する工場になったんだな』という深い感慨を覚えるとともに、これからの若い人たちそれぞれが将来の幸せを願い、希望を抱いて、朝早くから出勤してきていることを考えて、経営を預かる自分の責任の重さを改めて考えさせられたのでした。
冒頭の言葉はその翌々日の朝会で従業員に話した講話の一筋です。
松下は、大正七年、妻とその弟との三人で松下電器を創業しました。
それは三人の努力によって着実に大きくなり、従業員の数も、大正十三年、七十人、昭和三年、三百人、同七年、千百二人というように急激に増えていきました。
けれど、松下は身体が弱く病気がちであったため、しかるべき社員に仕事を思い切って任せ、大所高所から導いていくというやり方をとらざるをえませんでした。そうするとだれもが期待にこたえて懸命に努力し、力を出してくれたのです。
そのような体験を重ねながら、人間の持つ可能性は無限であり、一人として無用の者はいない。人間はそれぞれに持ち味があり、その持ち味を生かして自主的に取り組むとき、やりがいを感じ大きな成果をあげるものである。またそのとき会社としての成果も大きくなる、ということを痛感してきました。
したがって、松下の関心事は常に社員がどのような思いで働いてくれているかにあり、幹部が報告に行ったときに必ず尋ねることは、「みんな元気にやっているか」ということでした。
みんながやりがいを持って元気に働いてくれていれば、本人も幸せであるし会社も発展する、これほどいいことはない。いつのまにか、そのことを確かめる言葉が口ぐせになってしまっていたのです。