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vol.66 特集:第1回 松下幸之助人生をひらく言葉

「夢ほどすばらしいものはない」

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 「私は、人はすべて希望を失ってはいけない、と言いかえると、あすに夢を持てと言いたい。この夢を持つということが、人生においてどんなに大切なことかわからないと常々考えている。私は昔から、非常な夢の持ち主である。だから早く言えば、『あんたの趣味は何ですか』と聞かれるが、私は『私には趣味はないですな。まぁしいて言えば、夢が趣味ということになりますかな』と、答えることにしている。実際、夢ほどすばらし
いものはない。」

松下幸之助は

あるとき若い社員から、「趣味は何ですか」と問われ、「別にないな。歌もよう歌わんし、酒もよう飲まんし、趣味乏しきほうやな。まあ、夢でも見るくらいや。夢だと、自分で自分の理想を描いて、自在に楽しむことができる」と答えています。
 実際、松下の人生は次々と夢を描き、それを追い求め続けた軌跡であったといってもいいでしょう。
 大阪電灯で配線工として勤めていた青年時代には、もっと便利なソケットができないものか、と工夫に工夫を重ねていますし、丁稚車に道具を積んで劇場などの公共の施設や各家庭に配線を回っていたときには、自転車につないで引っ張れるような車の開発を夢見ていました。
 松下電器を創業して十数年経ったある夏の暑い日のこと、松下は大阪の場末の街を歩いていました。そこで、車を引いた一人の男がはっぴを脱ぎ、汗をふきながら道端にある水道栓をひねって水をおいしそうにごくごく飲んでいる姿を見ました。そのとき、ふと思ったのです。
【この水道水には一石いくらという価値があるはずだ。しかし、この人はその無作法をとがめられても、人のものを盗んだといってとがめられはしない。それはあまりにも価値が安いからではないのか。あらゆる物資が水道の水のごとく安くなったら、この世の中に貧はなくなる。そうだ、産業人の使命は水道の水のごとく物資を安価無尽蔵たらしめ、貧をなくすことである。そのために物資の生産に次ぐ生産をもって富を増大しなければならない】
 松下は従業員を集めて、「これから二百五十年をかけて、貧をなくし世を物資に満ち満ちたいわゆる富み栄えた楽土にしていこう」と訴えました。この壮大な夢を語ったとき、従業員は感激に打ち震えたと言います。
 八十二歳のときには、『私の夢・二十一世紀の日本』を著し、二十一世紀の日本はこうあってほしいという日本への夢を語っています。
 また、八十四歳のときには、その夢を実現する政治家をはじめとした日本の指導者を養成するために、私財七十億を投じて神奈川県茅ケ崎市に松下政経塾を設立しています。
 そのときに、親しい友だちから、「君は八十を過ぎている。大事な息子を預けて塾生にしても、君が死んだらしまいやないか。そんなところにはだれも来ない。やめたほうがいい」と忠告されたと言います。
 しかし、松下はあえて実行に移しています。それは、日本の将来に対する非常なる危機感と『日本の国に運命があるならば、この政経塾は必ず成功するだろう。成功を誓って信じてもいい。かりに自分が死んでも、必ずあとを継いでくれるだろう。心配はいらない』という思いからでした。
 「心に描かないものは絶対に生まれない。しかし、心に描いたものは、理にかなってさえいれば、やり方いかんで可能になる」
 これが、松下幸之助の信念だったのです。



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松下幸之助氏とは、中村社長が尊敬する人物の一人。
パナソニックの創業者である松下幸之助氏が生前に語られたお言葉は英知と洞察にあふれています。
この特集ページでは、毎号ひとつずつ皆様にご紹介いたします。(PHP出版の書籍より)

【松下幸之助】日本の実業家、発明家。
パナソニック(旧社名:松下電器産業、松下電器製作所、松下電気器具製作所)を一代で築き上げた経営者である。異名は経営の神様。自分と同じく丁稚から身を起こした思想家の石田梅岩に倣い、PHP研究所を設立して倫理教育に乗り出す一方、晩年は松下政経塾を立ち上げ政治家の育成にも意を注いだ。

PHP総合研究所 研究顧問 谷口全平
松下電器の創業者である松下幸之助は、資金も学問もなくしかも病弱。
「徒手空拳」ですらなく、マイナスからの出発であった。
にもかかわらず、かにして成功を収めることができたか?
本書は波瀾に満ちた94年生涯で語られた【人生をひら言葉】を軸に、松下幸之助の信条や経営観、人間としての喜びを解説した。「勝てばよし」がまがり通る今日、「なぜ生きるのか」を問う人生の書である。