平成27年11月 悠久の大義

  • 投稿日:2015年 11月 1日

空は深く

澄み渡り、さわやかな季節となりましたが、
皆様方におかれましては健やかにお過ごしのことと存じます。
 秋のわくわくリフォーム祭には多数の〝ありがとう会員〟のご来店を賜り誠にありがとうございました。楽しんでいただけましたか?
今後もより一層お客様に喜んでいただける様、
様々な企画でおもてなしをさせていただきたいと思っております。
 少しずつ冬の香りを感じる様になって参りました。風邪等引かぬ様ご自愛ください。

時務学と人間学

成人という言葉には二つの意味があります。
一つは成年に達する、大人になるという意味。
もう一つは下から読んで、人と成る、立派な人間になるという意味です。
 大人になるという意味での成人は、特別な努力をしなくても、日本では二十歳になれば誰でもなれます。
しかし人と成るためには努力が要ります。

 人間は、神仏と動物の中間に存在し、その両方の特長を備えているといわれています。
ですから、神仏と動物、どちらの方向に向かって努力をするかで同じ人間でも全く逆の方向に進んでいくのです。
『論語』に「性、相近きなり。習、相遠きなり」という言葉があります。
 人間の性質は生まれた時にはほとんど差がないけれども、学びによって大きく隔たってくるといわれています。
また、『論語』には「教有りて類無し」とも説かれています。
つまり人間の賢さ、愚かさは教育によって左右される。
必ずしもその人の環境や貴賤などに左右されるものではないということです。
 人と成るためには、人間が生まれながらにして与えられる徳性を育成する学問が必要です。
これを人間学といいます。
これに対して、知識、技術を取得するための学問を時務学といいますが、
昔は学問といえば人間学の方を指し、時務学の方は芸といっていたのです。

 戦前は自己をしっかり修めていくため修身という学科が最も重視されていました。
ところが戦後占領政策により国の教育方針が大きく変わり、学科の中から真っ先に修身が廃止されてしまいました。 
 したがって自己を修める学問がなくなってしまったのです。
その代わり、戦争で廃墟と化した日本をいち早く立て直すために、知識、技術を身に付ける時務学の方に重点が置かれました。
幸いにして日本は、世界が驚くような経済復興を成し遂げることが出来ましたが、反面人間として多くの大切な物を失った様に思います。
 その後学校の授業に道徳科が設けられましたが、修身科も道徳科もない時期に学校教育を受け、いわゆる人と成る為の学問を修めなかった人が、今、各界のトップクラスの多くを占めているのです。
そこは、日本が混迷に陥った大きな要因の一つがあるのではないでしょうか。
 
 孔子の弟子である曽子が著した『大学』は、自己を修め、大人、すなわち人によい影響を及ぼす人物となるために教えを記したもので、人間学を学ぶにはもっとも手近な古典です。
 曽子は孔子よりも四十六歳若い弟子で、孔子が七十三歳で亡くなった時は二十七歳でした。
孔子から「魯(にぶい)」と評されましたが、非常に純真な人で、孔子の教えを最も素直に実行し、そして『大学』を通してその教えの真髄を後世に伝えたのです。
ですから私たちは、『大学』を読むことによって孔子の心を知ることが出来るのです。
 『大学』や『論語』などを読む際には黙読ではなく、音読が良いと言われています。
今から約二千数百年も前に著された書を自分の目で見て、自分の口で音読し、それを自分の耳で聴く。
すなわち感覚器官を総動員して読むのです。

 音読にしろ、仕事にしろ、何事も誠実に取り組み、その姿勢を長く蓄積していくことが大切な事だと思います。
そうすることで内側から徳がにじみ出るような人間になりたいと心から思います。





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