平成26年8月 悠久の大義
- 投稿日:2014年 8月 4日
残暑厳しき折柄、
皆様方におかれましては |
先日、
リクシルさんの全国表彰で沖縄県の宮古島に行って参りました。
私は、沖縄を訪れるのは今回で5回目になりますが、南方に向かう機内でいつも思うことは、
先の戦争で特攻機に乗った多くの若者がこの青い空の下、
どの様な思いで一面に広がるこの青い海を見ていたんだろう、ということです。
多くの夢もあったであろう。愛する人、愛する家族もあったであろう。
やりたかった事、やり残した事も沢山あったであろう。
絶対の死というものに直面し彼らは何を考え、何を思い、自分の命を何に置き換えようとしていたのだろうか。
命が有限であると知っているのは人間だけである。
だから人間は自分の命を何かに置き換え、生を生きた証を残そうとするのです。
だが何かの為でないと命と引き替えにすることが出来ないのも人間です。
日本人は、『個より全体を優先させる』『個を犠牲にしても公に生きる』という大きな特性があります。
彼等は命を愛する人を守る為に、そして故郷の為に、祖国日本の為に、
そして日本の未来の為に、すばらしい未来構築の礎に成らんとする為だったと思います。
彼等の崇高なる精神を我々はしっかりと受け止め、
この日本をより良い形にして次の世代に手渡すことは、私達の使命だと思っています。
最後に、
戦艦大和が沖縄特攻に向かう際、臼淵大尉が語ったとされる言葉を紹介させていただきます。
「進歩のない者は決して勝たない。
負けて目覚めることが最上の道だ。
日本は進歩というものを軽んじてきた。
私的な潔癖や徳義にこだわって、真の進歩を忘れていた。
敗れて目覚める。それ以外にどうして日本が救われるか。
いま目覚めずしていつ救われる。
俺たちはその先導になるんだ。
日本の新生にさきがけて散る。まさに本望じゃないか。」
↑戦艦大和 | ↑臼淵磐大尉 |
副電測士(レーダー運用担当副士官)として大和に乗り込んでいた
吉田満少尉(1979没)の手記「戦艦大和ノ最期」によると、
沖縄突入作戦の是非と戦死の意味について議論となった士官たちが乱闘騒ぎを引き起こし、
その場に駆け付けた室長の臼淵磐大尉(21歳)が右記のように言い放ち、
乱闘騒ぎを鎮静化させたという。