平成24年10月 悠久の大義

  • 投稿日:2012年 10月 1日

街路樹の葉も

日ごとに黄色くなり、秋晴れの心地よい季節となりましたが、皆様方におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申しあげます。




















先日、

開催させていただきました秋のわくわくリフォーム祭には、多数のご来店を賜りありがとうございました。義援金として181342円集まり、皆様方の温かいご支援を大変嬉しく思っています。遅々として進まない復興の一助に必ずやなることと思います。


人財は群生する

過去の歴史を振り返った時、正に偉人がある地域から一時代に多く輩出されているのです。薩摩鹿児島の加治町という本当に小さな町では、明治維新最大の功労者である、西郷隆盛、海軍育ての親である山本権兵衛、日露戦争でバルチック艦隊を撃破した連合艦隊司令長官の東郷平八郎、日露戦争では満州軍総司令官であった大山巌、他にも西郷従道、黒木為禎など驚くほど多く輩出しているのです。
 又、長州山口では、萩市の松本村という小さな村で、吉田松陰先生が主催する松下村塾から多くの人財が輩出されています。松下村塾はわずか一年一カ月という本当に短い期間に79名の塾生を育て、その中から二人の内閣総理大臣、伊藤博文、山縣有朋、三人の大臣、山田顕義、品川弥二郎、野村靖という計五名の大臣を輩出したのです。しかし松下村塾では彼らは二流であったと言われています。本当の傑人は、維新を待たずして死んだ四天王と呼ばれた四名がいます。松下村塾の双壁といわれた、久坂玄瑞、西郷隆盛は彼のことをこの様に後に語っています。「今、俺が少しばかり手柄があったからといって皆にチヤホヤされるのは、額に汗が出るような気がする。もし藤田東湖先生や、久坂玄瑞、その他の諸先輩が生きておられたなら、到底その末席にも出られたものではない。それを、ああいう先輩が早く死なれたために、俺のような者が偉そうに言われるのは、恥ずかしゅうてならぬ。」と。
 又、双壁のもう一人である高杉晋作、私は彼の辞世の句が大変好きです。下りの句は野村望東尼がつけたといわれるものです。

『おもしろき こともなき世を おもしろく
   すみなすものは 心なりけり』
 つまりこの世を面白いと感じるかつらいと感じるか自分の心が決めることであって心の持ち方次第ということだと思います。

 そして、高杉晋作、久坂玄瑞とともに、松下門下の三秀と呼ばれた吉田稔麿、池田屋事件で討ち死に。そして入江九一彼は、禁門の変で自刃。又、この他にも松下村塾から多くの偉人を輩出しているのです。
 この様な『人財の群生』の大いなる要因は、尊敬する人物、憧れのある人物の存在であると思います。長州には吉田松陰、薩摩には西郷隆盛、彼らの存在こそが後に歴史を築き上げた人々を生んだのだと思います。そして教育であろうと思います。
 長州には幕末維新期に郷校(官学)の数は全国一位、寺子屋(私学)の数は全国二位、私塾(私学)の数は全国四位で全国トップの教育水準と底辺の広さが有り、幼少の頃より学びに対する姿勢が出き、吉田松陰という天才的教育者の下、人財が開花したのだと思います。
 薩摩には「郷中教育」というものがあり、少・青年期に居住する町内において集団教育を行い年長者が年少者を教育するシステムです。西郷隆盛は、前述の下加治屋町郷中の『二才頭(にせかしら)』という青年隊のリーダーをしていたのです。そして郷中教育の訓戒事項には、一、負けるな 二、嘘をつくな 三、弱いものいじめをするな というもので厳しく年長者が年少者を教育していました。
 今の時代に一番必要とされているのは、『正しい教育』ではないでしょうか、痛切に思います。





※こちらのコラムは、弊社情報誌「ありがとう。」vol.43」に掲載しています。


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