平成29年1月 悠久の大義

  • 投稿日:2017年 1月 6日

新年明けましておめでとうございます。

旧年中はひとかたならぬご厚情を賜り、誠にありがとうございます。皆様方におかれましては健やかなる新春をお迎えのこととお喜び申し上げます。本年も変わらぬご愛顧を承ります様よろしくお願い致します。
 サン・リフォームを創立致しまして早十年目の正月を過ごせ、十周年を迎える事が出来ました。無事十年の商いを続けてこれましたのも「一期一会クラブ会員」の皆様方のご支持、ご指導がありました故の賜物であると確信致しております。誠にありがとうございます。  十年前起業するに当たり、企業存続の第一義は、地域社会への貢献であり、リフォームを通じて、世の為、人の為に成りうる企業に成長出来るかどうかであると思い、お客様の幸福を願い、日々邁進して参りました。されど我々の不徳の致すところ故にご迷惑をお掛けすることもありました事を改めてお詫び申し上げます。一人でも多くのお客様に幸福がお届け出来る様社員一同今一層の精進を重ねて参る所存でございます。
 今春二月二十日に岩国店をオープンさせていただく運びとなりました。
 岩国は私の故郷であり、生まれ育った町であります。岩国の出店は起業当初からの長年の夢でありました。生まれ育てていただいた故郷に少しでも恩返しが出来ます様、精一杯がんばって参ります。オープンイベントは二月二十五日、二十六日を予定しております。どうぞお立ち寄りいただけます様、心よりお待ち申し上げます。

堅忍不抜(けんにんふばつ)

 一九一三年、一人の若者がフランスのプロヴァンス地方の、普通の人なら足を踏み入れないような山道を歩いていた。海抜千三百㍍のそのあたりはどこまで行っても草木もまばらの全くの荒地だった。
 若者は三日ほど歩き続け、かつて数戸の人家があったらしい廃墟に辿り着いた。若者の水筒は昨夜から空っぽ。水を探したが、一つあった泉は涸(か)れ果てていた。
 さらに歩くこと五時間。遥(はる)か彼方(かなた)に立っている小さな影が見えた。近づくと羊飼いの男だった。周りには三十頭ほどの羊が寝そべっている。男は皮袋から水を飲ませてくれ、高原の窪地にある小屋に連れていってくれた。そこには深い井戸があり、水はそこから汲み上げているのだった。
 男はどっしりとした石造りの小屋に住んでいた。そこここに修理の手が加えられ、以前は廃屋だったことが分かる。男は無口だったが、温かいスープをふるまってくれ、若者が泊まることを承知してくれた。食事が済むと男は小さな袋からドングリを広げ、丹念に選り分ける。完全な形をしたドングリを百粒選び出し、そこから床(とこ)についた。
 翌朝、若者はもう一日泊まらせてほしいと頼み、仕事に出掛ける男についていった。小さな谷間で羊を放すと、男はさらに山道を登っていく。二百㍍ほど登ったところで男は地面に鉄棒を突き立てて穴を掘り、その穴に一つひとつドングリを落としては土を被(かぶ)せていく。
「このドングリはカシワの木の種だ。三年前からこの荒地にカシワの木を植えている」
若者の質問に男はそう答えた。  まず十万個の種を植えた。そのうち、二万個が芽を出した。その半分がだめになっても、残る一万本のカシワの木がこの不毛の地に根付くことになる、と。
 年齢を聞くと、男は五十五歳だという。以前は農場をもち、家族と一緒に暮らしていたが、突然一人息子を失い、間もなく奥さんも後を追った。男は孤独の世界に籠(こ)もるようになった。だが、何かためになる仕事がしたいと、不毛の地に生命の種を植え付けることを始めたのだという。
「もう三十年もすれば一万本のカシワの木が育つわけですね」
若者が言うと、男は言った。
「もし神様がわしをあと三十年も生かしてくださるならばの話だが......。その間ずっと植え続ければ、いまの一万本なんて大海のひとしずくになる」
 翌日、若者は男と別れて旅立った。

 その翌年、第一次大戦が始まり、若者は五年の歳月を戦場で過ごした。戦争から戻ると、若者はまた羊飼いを訪ねていった。一九一〇年に植えたカシワの木は十歳になり、若者の背丈をとうに越していた。その素晴らしい光景に若者は言葉を失い、ただ林の中を歩き回った。  林は三つ区域に分かれ、長さ十一㌔㍍、幅三㌔㍍に及んでいた。それはこの無口な男がなんの技巧も凝らさず、手と頭でつくり上げたものだ。涸れていた小川にとうとうと水が流れ、小さな牧場や菜園や花畑が次々に生まれた。
 ただこの変化はとてもゆるやかに現れたので、気ぜわしい日常を送る人びとを、驚かすことはなかった。豊かに育った若木を見ても、大地と自然のほんの気まぐれのせいと考えて、感動する者はなかった。一人の男がつくり上げた見事な作品だとは、誰にも想像できなかった。
 一九二〇年から、若者は一年をおかず男を訪ね続けた。親交が深まるにつれ、また自身も年齢を重ねるにつれ、若者は気付いた。男にはなんの迷いも疑いもないように見えたが、どんな大成功の陰にも逆境に打ち勝つ苦労があり、いかに激しい情熱を傾けようと勝利を確実にするためには、時に絶望と闘わなければならない、ということを。
 ある年、男は一万本ものカエデを植えたが苗は全滅、彼は絶望の淵(ふち)に立たされた。カエデを諦(あきら)め、一年後にブナを植え、これがようやくカシワ以上に育った。この類い希(まれ)な不屈の精神は全く孤独の中で鍛えられたのだ。
 男は第一次大戦中と同様、第二次大戦中も黙々と木を植え続け、一九四七年、バノンの養老院で安らかに八十九歳の生涯を閉じた。
 フランスの作家ジャン・ジオノ作『木を植えた男』に描かれた男の物語である。
「古(いにしえ)の大事を立つる者は、ただ超世の才を有するのみにあらずして、また必ず堅忍不抜の志あり」──と蘇東坡(そうとうば)は言っている。
 古今東西、人類の歴史には堅忍不抜の人生を生きた多くの先達の姿がある。それらの人たちの生き方に思いを馳(は)せ、私たちもまた自らの人生を全うしたいものである。







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