平成30年7月 悠久の大義

  • 投稿日:2018年 7月 1日

向暑仲夏の候、

皆様方におかれましては、益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。

先日開催

させていただきました【下松本店ショールームオープン10周年祭】、【岩国店ショールームオープン1周年祭】には、大変たくさんの一期一会クラブ会員様のご来場を賜り、誠にありがとうございました。心より感謝申し上げます。2会場で皆様にご協力いただいた義援金は震災被災地の方々に届けさせていただきます。ご協力ありがとうございました。

大正生まれの男たち

大正生まれの男児、僅か15年間の運命的にあらゆる面で明瞭に画された【時】と、言えるのではないでしょうか。
 大正時代に生まれた男児の殆どは、日中戦争、太平洋戦争の兵力の中心となり、戦禍の犠牲になって戦死した二百三十万の兵の殆どは、この大正生まれの男児であったのです。大正元年生まれは、終戦時の昭和20年には33歳、大正15年生まれは19歳となっていました。すなわち太平洋戦争は大正生まれの若者たちによる戦争だったのです。大正生まれの男子の総数は千三百四十八万人。そのうち「7分の1」にあたるおよそ二百万人が戦死しているのです。
 戦後の焼け野原からの戦後復興、どん底の日本を今の豊かな日本への礎を築いてくださったのも大正生まれの方々を中心とした人々のがんばりがあったからこそではないでしょうか。バルブをひねれば綺麗な水道の水が飲め、農地も整理され、高速道路、ダム、発電所などなど、世界を見渡してもこれほどきめ細やかに社会インフラが整備された国はない。これは決して当たり前のことではない。戦争で生き残り、同級生の多くの人が戦死し、彼らの分まで生きよう、自分達の世代で何とかしなくては、という使命の下、世の為、国家の為に一生を捧げられた大正生まれの方々に感謝の念を捧げなくてはならないと思います。
 私達は多くの先人たちの血の滲むような努力のおかげで今の生活があるということ。そして今我々が次の世代に何を残し、手渡すのか...一人一人がよくよく考える必要があるのではないでしょうか。




鎮魂譜

大正生まれの俺たちの
別れし友の魂魂(たましい)は
空ならば なお 天翔り
海ならば なお 水づき揺れ
大地(つち)ならば なお 草むさん
いでや 我が友 この胸に
しかと 眠れや なあお前

▲下段の「大正生れ」の歌が全国の旧軍関係の方達に愛唱されるようになると、作詞者のもとに"戦死した仲間への鎮魂の歌を作って欲しい"との声が届き遅れること10年で完成した一節。


大正生れ
一.大正生れの俺たちは 明治の親父に育てられ
 忠義愛国そのままに お国の為に働いて
 みんなの為に死んでゆきや 日本男児の本懐と
 覚悟を決めてきた なあお前

二.大正生れの青春は 全て戦の只中で
 戦いごとの尖兵は みな大正の俺たちだ
 終戦迎えたその時は 西に東に駆け回り
 苦しかったぞ なあお前

三.大正生れの俺たちにゃ 再建日本の大仕事
 政治 経済 教育と ただがむしゃらに幾十年
 泣きも笑いも出尽くして やっと振り向きゃ乱れ足
 まだまだやらなきゃ なあお前

四.大正生れの俺たちは 幾つになってもよい男
 子供も今ではパパになり 可愛い孫も育ってる
 それでもまだまだ若造だ やらねばならぬことがある
 休んじゃならぬぞ なあお前
 しっかりやろうぜ なあお前

大正生れ(女性篇)
一.大正生れの私達 明治の母に育てられ
 勤労奉仕は当たり前 国防婦人のたすきがけ
 みんなのためにと頑張った
 これぞ大和撫子と 覚悟を決めていた
 ねえ あなた

二.大正生れの私達 すべて戦争のただ中で
 銃後の守りはまかされた みな大正の私達
 終戦迎えたその時は たのみの伴侶は皆軍神
 寂しかったね ねえ あなた

三.大正生れの私達 再建日本の女房役
 姑につかえ子育てと ただがむしゃらに三十年
 泣きも笑いも我慢して やっと振り向きゃ白い髪
 それでもやらなきゃ ねえ あなた

四.大正生れの私達 今では五十六十と
 子供もよいパパママとなり 可愛い孫のお守役
 今では嫁も強くなり それでも引かれぬこともある
 休んじゃおれない ねえ あなた
 しっかりやりましょ ねえ あなた




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