平成22年6月 悠久の大義

  • 投稿日:2010年 6月 1日

雨に紫陽花が、

鮮やかに映る季節になりましたが、皆様方におかれましては、益々、ご健勝のこととお慶び申し上げます。

先日の、

5月29日・30日の2日間に開催させていただきました『ショールームオープン2周年祭』には、多数の「一期一会クラブ会員」様の方々のご来店を賜り誠にありがとうございました。
又、2日間のご来場者数が過去最高となり、本当に嬉しく思っております。
これからも、皆様に喜んでいただける、盛り沢山な企画をしていきたいと思っておりますので、次回のイベントにも、是非、お越しいただければと思います。

歴史を未来につなぐ

1890年9月16日、一隻の軍艦が和歌山県串本沖で座礁し沈没しました。
大嵐の中、蒸気機関に浸水し爆発を起こして587人の乗組員が犠牲になったのです。
その軍艦の名は「エルトゥールル号」。
オスマン帝国、今のトルコが親善のためにはるか極東の日本へと派遣したフリゲート艦でした。
紀伊大島の住民は危険をかえりみず荒れる海に飛び込み20数人の生存者を救出、手厚い看護でその命を守りました。明治天皇からも可能な限りの支援を行うように指示があり、日本国内あげてのバックアップで生存者は日本海軍の軍艦2隻でオスマン帝国に向けて帰国の途につきました。
遭難のニュースが伝わるとすぐ、日本国内で支援熱が高まり莫大な額の義援金が集まり、生存者と共に送り届けられました。
この様な極東の国、日本の尽力にオスマン帝国は沸き立ったといわれます。
「日本に何かあれば、今度は私たちが恩を返すのだ」多くのオスマン帝国、今のトルコの人たちは、そう語り合ったと伝えられます。
そして95年後、トルコ国民はその時の思いを私達、日本に返すことになります。
しかも生命がけの決断と行動でした。
イラン、イラク戦争の最中、サダムフセインはイラン上空を飛ぶ飛行機の無差別襲撃を宣言し、実施まで48時間前のことでした。
多くの日本人がイランに取り残され、そんなギリギリの状況の中で日本からの航空機は様々な理由からテヘランに飛ぶことは出来ませんでした。
その時、トルコ政府は日本大使館からの申し出に応じ、2機の救援機をテヘランに飛ばす決断を瞬時に下したのです。
テヘランはいまだ数百人のトルコ人が救助を待っている、そんな状況下でした。
「日本人にその救援機に乗ってもらうのだ!我々先人が受けた恩を返すのだ」空港に集まったトルコの人々は口々にそう叫び、日本人を送り出したというのです。
そして残ったトルコ人は、命の危険をものともせずトラックで一週間かけて自国へ帰りました。
この事実を多くの日本人は知りません。
日本の新聞はこの救出劇を日本が多額のODA(政府開発援助)をしてきた結果だと書きました。
その記事にトルコ大使は95年前からのトルコ人の思いから出た行為なのだと反論しました。
その事実に恥ずかしさを感じます。
自国民の生命とお金を天秤にかける国家など存在しないものです。
そんな人間としての本性を、あの時代から日本は失いはじめていたのでしょう。
歴史を忘れた民族は滅亡へと至るといわれます。
歴史の中にある、名もなき先人が積み上げてまで徳や功を知ることは、私たちの自尊心そのものです。
今、私達を取り巻く喪失感や不幸感には、民族としてのよりどころである先達への尊敬心の喪失が大きくかかわっているように感じます。



※こちらのコラムは、弊社情報誌「ありがとう。」vol.17に掲載しています。


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