平成23年10月 悠久の大義

  • 投稿日:2011年 10月 5日


街路樹の葉も

日ごとに黄色くなり、秋空高く、さわやかな毎日が続きますが、皆様方におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。














月初めに開催

させていただきました『応援リフォーム祭』 には多数のご来店を頂き誠に有難うございました。楽しんでいただけたでしょうか。
私はリフォーム祭の度にたくさんのお客様の元気なお顔を拝見出来ることを非常に喜びとしております。
少し早いのですが、来年一月開催予定の新春リフォーム祭は今年以上の大きなマグロでの解体ショーをご披露したいと思っております。お客様に楽しんでいただける企画盛り沢山で開催していきたいと思いますので今後ともご愛顧賜ります様宜しくお願い致します。


会津という名を

耳にした時、皆様は何を連想しどの様な感慨にふけりますか?『会津と長州』一つの時代の激動の流れの中で激しくぶつかり合い、殺し合った、二つの藩、各々の歴史的背景の下、各々の武士道的正義の下、お互いが長い年月の間に築き上げた『生き様』、『哲学』のぶつかり合いであったと思う。長州は関ヶ原の合戦で敗れた後、徳川家康が所領安堵の約束をしたにも関わらずその約束を反故にされ、百二十万石から二十九万石への大減封となり江戸時代ずっと徳川を恨み続けました。そして倒幕というものが『国是』となり、新年拝賀の儀では、家老が「今年は討幕の機はいかに」と藩主に伺いを立てると藩主は毎年、「時期尚早」と答える習しがあったのです。そして、幕末、吉田松陰という精神的支柱の下、長州は倒幕へと動きました。
 又、会津は関ヶ原以降、蒲生家、加藤家を経て、三代将軍家光の異母弟の保科正之が会津藩主となり、三代正容の時、松平の姓に改姓し幕末まで松平家が会津を治めたのです。松平家は徳川の親藩であり、家康とは血縁の藩でありその中でも名家の一族を指す『御家門』でありました。又保科正之が制定した会津藩家訓十五カ条(将軍家への忠誠を第一とするなど会津藩の藩風を決定づけた)特に第一条の「大君の義、一心大切に忠勤に存ずべく、列国の例をもって自ら処するべからず。若し二心を懐かば則ち我子孫にあらず。面々決して従うべからず」は会津藩を他藩がどうであろうと、将軍家に忠義をつくす藩だと位置づけたもので、二心を抱く藩主には子孫としての資格はなく従ってはならないとまで言い切る峻烈なものになっています、この志を藩の柱とした思想が会津藩を作り上げ幕末に至ったのだと思います。
 二つの雄藩は関ヶ原の合戦から二百六十五年後、戊辰・会津戦争が起こるべく各々の道を歩み、お互い異った武士道の柱を作り上げていったのだと思います。
 会津藩そして、最期の藩主である松平容保を見るに、東北人の純粋さ、律義さ、忍耐強さを感じずにはおれません。紀州や尾張はどの徳川御三家すら裏切っているのに徳川に対する忠誠を貫き、白虎隊の悲劇の物語を作り出した純粋な忠義は、日本人の美学であると思います。
 東北大震災は、日本人を目覚めさせる為に『日本で一番強い精神力を持つ東北地方に神が試練を与えた』のだという記事を読んだことがあるが正にその通りかもしれない。

会津藩城.jpg
鶴ヶ城
白虎隊自刃の地.jpg
白虎隊自刃の地(飯盛山から陥落した鶴ヶ城を見て白虎隊は自決した。)





※こちらのコラムは、弊社情報誌「ありがとう。」vol.32に掲載しています。


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