平成24年8月 悠久の大義

  • 投稿日:2012年 8月 1日


残暑がひとしお

身にこたえる毎日ですが、皆様におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申しあげます。
 夏という季節は開放的で、私は大変好きなのですが、この近年の夏の暑さはいかがなものかと思います。私も少々、この暑さにバテ気味ですが、皆様方もご自愛ください。






今月は、

私が毎月愛読している『致知』の一文をご紹介させていただきます。

~人間学を学ぶ月刊誌『致知』より~
特集 知命と立命

人は誰でもそれぞれに、天から与えられた素質能力がある。これを「命(めい)」という。
自分はどういう命を与えられているのか。それを知ることが「知命(ちめい)」である。知って、それを完全に発揮していくことが「立命(りつめい)」である。―安岡正篤師(まさひろ)の言葉である。人生の目的を語って、極めて明快である。人は何のために生きるのか。命を知り、命を立てるためだ、という教えである。
 そこで思い浮かぶ人がいる。松下幸之助氏である。
 昭和7年3月、松下氏は取引先の人に誘われて天理教本部を訪問、そこで働く人々の姿に衝撃を受けた。奉仕でありながら、生き生きとした喜びに溢れていたのだ。月給をもらって仕事をする人のそれとはかけ離れている。この違いは何か。考え続けた松下氏に、一つの思いが生まれた。それは使命感である。宗教は人を救い、安心を与え、人生に幸福をもたらす聖なる事業である。その事業に奉仕しているという使命感が、喜びに満ちた姿となって現れているのだ。
 会社の事業もまた、人間生活の維持向上に欠かせない聖なるものである。生産に次ぐ生産によってこの世に物資を豊富に生み出し、貧乏をなくす。そこにこそ我々の使命がある。
 松下氏の思いは強い確信になっていった。
 5月5日、松下氏は当時の全店員168名を大阪の中央電気倶楽部に集め、松下電器が将来に果たすべき使命について訴えた。
「産業人の使命は貧乏の克服である。そのためには物資の生産に次ぐ生産をもって富を増大させなければならない。水道水は加工されていて価(あたい)のあるものだが、通行人がこれを飲んでも咎(とが)められることはない。それは量が多く、価格があまりにも安いからである。
 産業人の、そして松下電器の真の使命は、物資を水道水の如く安価無尽蔵に供給し、この世に楽土を建設することである」 
 この発表に全員が感激、次々と壇上に上がり決意を表明した。
 松下氏はこの日を松下電器の創立記念日とし、この年を「創業命知(めいち)第1年」と呼んだ。本来は「知命」とすべきところを、日本語読みそのままに「命知」としたのはいかにも松下氏らしい。以後の松下電器の発展については詳述するまでもあるまい。
 命を知る力の大いさを思わずにはいられない。
しかし、命を知っただけでは道半ばである。真の大事はその命を発揮していくこと、立命である。いかにして命を立てていくか。古今の先哲が多くの教訓を残している。ここでは明代(みんだい)の儒者、崔後渠(さいこうきょ)の言葉「六然(りくぜん)」を紹介する。

*自處超然(じしょちょうぜん)(自ら処すること超然)...自分自身に関してはいっこう物に囚われない。
*處人藹然(しょじんあいぜん)(人に処すること藹然)...人に接 して相手を楽しませ、心地よくさせる。
*有事斬然(ゆうじざんぜん)(有事には斬然)...事があるとき はぐずぐずしないで活発にやる。
*無事澄然(ぶじちょうぜん)(無事には澄然)...事なきときは 水のように澄んだ気でいる。
*得意澹然(とくいたんぜん)(得意には淡然)...得意なときこ そ淡々としている。
*失意泰然(しついたいぜん)(失意には泰然)...失意のときは 泰然自若としている。

心術の工夫、学問修養のないところに立命はない。

~『致知』8月号より~

「命」を知り、「立命」することで自分の生き様を残したい...そんな人生を送りたいと思います。






※こちらのコラムは、弊社情報誌「ありがとう。」vol.41」に掲載しています。


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