平成28年1月 悠久の大義

  • 投稿日:2016年 1月 6日

新年あけましておめでとうございます

旧年中はひとかたならぬご厚情を賜り誠にありがとうございました。皆様方におかれましては健やかなる新春をお迎えのこととお喜び申し上げます。本年も何卒よろしくお願い致します。

運命

私は今一番重きを置いて学んでいるのは、人間学です。一言で言うと、人は何の為に生まれ、何の為に生き、そしてどの様に生きるのかを学ぶ学問であろうと思います。
 自分の未来は誰も知る由がありません。しかし、〝人生というものはどのように作られているのか〟〝どうすれば幸せな人生を送れるのか〟を少しでも知っていれば、人生に大きな違いが出てくるのではないでしょうか。
 人にはそれぞれ決められた運命があり、運命という縦糸を伝って人生を生きていくのだということです。しかし、それだけではなく人は運命に翻弄されながら人生の中で様々な事に遭遇し、その遭遇する過程で、人はよいことや悪いことを思ったり行ったりする、それによって人生は変わっていくのだと思います。
 つまり、人生には「運命」という縦糸があり、「因果の法則」という横糸があるのです。この二本の糸で織られていったものがそれぞれの人の人生を形作っているのだと思います。
 中国の古典には、「積善の家に余慶有り」という言葉があります。善行を積んだ家には素晴らしい幸福が訪れ、子々孫々に渡るまで良いことがある、といういう意味です。
 つまり、「善きことを思い、善きことをすれば、その人の運命はよい方向へと変わっていく」ということです。
 善きことを思い実行することは、運命を好転させるばかりではなく、善きことを思い善きことにつとめることを通じて、自分の心を磨き、美しくすることこそが人生の目的なのではないでしょうか。
 一般的に人生の目的というと、財産や地位、名誉を築くことの様に考えられていますが、その様なものは、いくら持っていたとしても何一つあの世に持っていくことは出来ません。しかし、たった一つだけ滅びないものがあるとすれば、それは我々の持つ心「魂」ではないかと思います。
 私達が生きる人生は、善きことを思い、善きことを行うことで魂を磨き上げるために与えられた時間なのではないでしょうか。
 生まれてきたときに、この世に持ってきた自分の心を現世の荒波の中で洗い、磨き、少しでも濁りのない美しいものへと変えていく...。そのために、「人生という道場」があるのだと思います。
 皆様方におかれまして、今年一年幸せな日々が送れますことを心より祈念致しております。
                                               感謝。

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ホームページをリニューアルしました!過去の社長メッセージ、「悠久の大義」もこちらでご覧になれます↑ リフォーム施工例はもちろん、イベント情報や『ありがとう。』の表紙を飾るお花にまつわるコーナーなど、情報満載でお届けしています↑
■1月17日・18日
『2015新春リフォーム祭&第13弾震災義援チャティー屋台』
ショールームイベント開催
(2日間の屋台・ビンゴ大会の売上全額と募金総額274105円)
 
■2月21日・22日主催大会開催
『第6回サン・リフォーム杯 周南地区Uー11サッカー大会』
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↑大おもちつき

↑大抽選会 ↑U-11サッカー大会選手
■3月14日主催大会開催
『第6回サン・リフォームカップ周南近郊小学生バレーボール大会』

■3月6日~8日
『第11回しゅうなんFMキッズフォトコンテスト』協賛

■3月21日・22日開催
『第27回下松カップサッカー大会』協賛広告(中国新聞)

■3月27日~29日開催
『第19回サザン・セト大島少年サッカー大会』協賛広告(中国新聞)
■3月28日・29日開催
『第15回読売新聞社旗争奪少年野球久保大会』協賛

■4月26日開催
『第34回中村ソフトボール大会』協賛

■5月30日・5月31日
『ショールームオープン7周年祭&第14弾震災義援チャリティー屋台』
ショールームイベント開催(2日間の屋台・ビンゴ大会の売上全額と募金総額266545円)
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↑選手宣誓

↑優勝チームと記念撮影 ↑お絵かきうちわコーナー
■6月
FCリベルダーデ『少年サッカー全国大会』出場支援

■7月10日放映
『第97回全国高等学校野球選手権山口大会』
開幕応援CM(高校野球「きらり夏2015」YAB放送

■7月10日掲載
『第97回全国高校野球選手権山口大会』開幕応援広告(中国新聞・読売新聞)

■7月26日
山口バレエアカミー第2回発表会『天使の贈り物』協賛

■8月22日掲載
『24時間テレビ・愛は地球を救う』支援新聞広告協賛(読売新聞)

■9月20日
サン・リフォーム争奪 久保ミニバス20周年記念交歓会協賛
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↑ビンゴ賞品獲得

↑花火プレゼント ↑久保ミニバス参加賞贈呈
■10月4日開演
『第28回下松吹奏楽のつどい』協賛

■10月
『しゅうなんFM開局12周年』協賛

■10月3日・4日
『秋のわくわくリフォームまつり&第15弾震災義援チャリティー屋台』ショールームイベント開催
(2日間の屋台・ビンゴ大会の売上全額と募金総額253250円)
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↑秋の『ハロウィン祭』

↑仮装コーナー ↑恒例企画ビンゴ大会
■10月31日・11月1日
特別共催大会開催『第5回サン・リフォーム杯東山口ジュニアユースサッカー大会』
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↑チャリティー屋台

↑グランザ下松FC ↑サン・リフォーム杯優勝チーム
■12月1日~25日
『クリスマスフェア』開催クリスマスイルミネーション点灯

■12月20日開演
山口県立下松工業高等学校吹奏楽部『第7回定期演奏会』協賛
15.jpg 16.jpg 今年ももっとたくさん
地域貢献ができるよう
頑張ります。


↑クリスマスフェア&イルミネーション ↑クリスマスツリー





平成27年11月 悠久の大義

  • 投稿日:2015年 11月 1日

空は深く

澄み渡り、さわやかな季節となりましたが、
皆様方におかれましては健やかにお過ごしのことと存じます。
 秋のわくわくリフォーム祭には多数の〝ありがとう会員〟のご来店を賜り誠にありがとうございました。楽しんでいただけましたか?
今後もより一層お客様に喜んでいただける様、
様々な企画でおもてなしをさせていただきたいと思っております。
 少しずつ冬の香りを感じる様になって参りました。風邪等引かぬ様ご自愛ください。

時務学と人間学

成人という言葉には二つの意味があります。
一つは成年に達する、大人になるという意味。
もう一つは下から読んで、人と成る、立派な人間になるという意味です。
 大人になるという意味での成人は、特別な努力をしなくても、日本では二十歳になれば誰でもなれます。
しかし人と成るためには努力が要ります。

 人間は、神仏と動物の中間に存在し、その両方の特長を備えているといわれています。
ですから、神仏と動物、どちらの方向に向かって努力をするかで同じ人間でも全く逆の方向に進んでいくのです。
『論語』に「性、相近きなり。習、相遠きなり」という言葉があります。
 人間の性質は生まれた時にはほとんど差がないけれども、学びによって大きく隔たってくるといわれています。
また、『論語』には「教有りて類無し」とも説かれています。
つまり人間の賢さ、愚かさは教育によって左右される。
必ずしもその人の環境や貴賤などに左右されるものではないということです。
 人と成るためには、人間が生まれながらにして与えられる徳性を育成する学問が必要です。
これを人間学といいます。
これに対して、知識、技術を取得するための学問を時務学といいますが、
昔は学問といえば人間学の方を指し、時務学の方は芸といっていたのです。

 戦前は自己をしっかり修めていくため修身という学科が最も重視されていました。
ところが戦後占領政策により国の教育方針が大きく変わり、学科の中から真っ先に修身が廃止されてしまいました。 
 したがって自己を修める学問がなくなってしまったのです。
その代わり、戦争で廃墟と化した日本をいち早く立て直すために、知識、技術を身に付ける時務学の方に重点が置かれました。
幸いにして日本は、世界が驚くような経済復興を成し遂げることが出来ましたが、反面人間として多くの大切な物を失った様に思います。
 その後学校の授業に道徳科が設けられましたが、修身科も道徳科もない時期に学校教育を受け、いわゆる人と成る為の学問を修めなかった人が、今、各界のトップクラスの多くを占めているのです。
そこは、日本が混迷に陥った大きな要因の一つがあるのではないでしょうか。
 
 孔子の弟子である曽子が著した『大学』は、自己を修め、大人、すなわち人によい影響を及ぼす人物となるために教えを記したもので、人間学を学ぶにはもっとも手近な古典です。
 曽子は孔子よりも四十六歳若い弟子で、孔子が七十三歳で亡くなった時は二十七歳でした。
孔子から「魯(にぶい)」と評されましたが、非常に純真な人で、孔子の教えを最も素直に実行し、そして『大学』を通してその教えの真髄を後世に伝えたのです。
ですから私たちは、『大学』を読むことによって孔子の心を知ることが出来るのです。
 『大学』や『論語』などを読む際には黙読ではなく、音読が良いと言われています。
今から約二千数百年も前に著された書を自分の目で見て、自分の口で音読し、それを自分の耳で聴く。
すなわち感覚器官を総動員して読むのです。

 音読にしろ、仕事にしろ、何事も誠実に取り組み、その姿勢を長く蓄積していくことが大切な事だと思います。
そうすることで内側から徳がにじみ出るような人間になりたいと心から思います。





平成27年9月 悠久の大義

  • 投稿日:2015年 9月17日

空の青さに

幾分秋の気配が感じられ、朝夕は少しばかりしのぎやすくなりましたが、皆様方におかれましては、いかがお過ごしでしょうか。
戦後70年という節目の年を迎え、終戦の日、若くして散っていった英霊の志や使命について深く考える中、素晴らしい記事を思い出しましたので、ご紹介いたします。

青年は

【致知 二〇一五年七月号】
 臨済宗妙心寺派の寺に妹三人の一人息子として生まれた。
小学校で教師に僧職を否定されたこともあったのだろう、青年は寺を継ぐのを嫌い、大学を出るとサラリーマンになった。
その日の気分だけで過ごす若者にとって、サラリーマンは気楽な稼業だった。
 ある日、会社の行事で講演会が開かれた。
講師は鎌倉円覚寺菅長の朝比奈宗源老師。
青年は寺の出ということで課を代表して講演会に出席する羽目になった。
寺を嫌った自分がなんで坊主の話を聞かにゃならんのか──。気分は乗らない。
青年は会場の片隅に座ると、早速睡魔に襲われた。と、朦朧とした頭に老師の声が響いてきた。
「人間は仏心の中に生まれ、仏心の中にいて、仏心の中に息を閉じよ」青年はムカッとなり、途中で会場を出た。
サラリーマンに話すのに仏教用語なんか使うな、現代語で勝負しろ──。
しばらくして、人事担当から電話が入った。
朝比奈老師が貴賓室に戻られたから、寺出身のよしみで老師にインタビューせよ、という。
面白い、天下の名僧とやらをからかってやろうじゃないか──。
 老師と対座した青年は、「私には仏心とやらが全く理解できません」と切り出した。
「お前さんは幾つじゃ」と老師。
「二十五歳です」「二十五歳か。それじゃ仏心は分からん」「どうしてですか」
「お前さん、わしの話をどこを向いて聞いておった?」「先生のお顔を見つめて聞いておりました」
「そうか。わしの面の皮一枚しか見ておらなかったのか。それじゃ仏心は分からん」
「どこを見たら仏心が分かるというのですか」「そうじゃな。人間の目に見えぬものを見るんじゃ」
「そんなもの、見えるわけがないじゃないですか」。
 そう吐き捨てる青年に、老師は「わしはお前さんと話をしているのが退屈じゃ。わしはもう帰るぞ」と立ち上がった。
「なぜ私と話をするのが退屈なんですか。理由を言って下さい」と青年はなおも迫った。
老師は真顔で言った。「わしにはお前さんが、一生は一回しかないことを意識して生きているとは思えん。そんな若造としゃべる気がせんのじゃ」「一生は一回しかないなんてことは、小学生だって知ってますよ」
 老師は青年を見据えて言った。
「ほう、そうか。それならわしが質問しよう。一生は一回しかないな。もう二度と人間に生まれることはないな」「はい」
「じゃ、聞くぞ。その二度とない人生をお前さんはどういう命題を持って生きていくのか。お前さんの人生のテーマを言ってみい」。
青年は息が詰まった。そんなことは考えてもみなかった。
「黙っていては分からん。お前さんの人生のテーマは何だ。さあ、言え。さあ」。
うろたえる青年に老師は続ける。
「一生は一回しかないというのに、二十五歳にもなって人生のテーマがないとはなあ。
人生には分かっているものが二つある。生と死だ。その生と死を結ぶ一回をどう生きるか。
こんな大切なことを分からんままに生きていていいと思うか」「思いません」
「だろう。だから古人は、一生一道、使命に燃えて生きろと言った。使命とは、お前さんは一体何に命を使っておるかということじゃ。さあ、言え。言ってみよ」。
 老師の気迫に青年はうつむくばかりだった。
 数日後、青年は「そうだ、自分は朝比奈老師のような人間になりたい」と決意、禅の一道に自分を投げ出し、以後の人生を禅僧として生き切った。
いまは亡き松原哲明氏の若き日の話である。
 生きる力の根源をこの逸話に見る。二度とない人生をどう生きるのか。
そのテーマを定めた時、そこに生きる力は湧いてくるのである。




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