平成23年6月 悠久の大義

  • 投稿日:2011年 6月19日

紫陽花の花が、

さみだれに濡れ、とても美しいこの頃、
皆様方におかれましては、益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。

先日開催いたしました、

「ショールームオープン3周年祭」には、大雨の中にも関わらず多数ご来店頂き誠に有難うございました。
又、同時開催いたしました「第2弾震災義援チャリティー屋台」にも多数参加していただき、
合計152,834円の義援金をいただき、皆様方の熱い思いを感じることが出来ました。
本当に有難うございました。

日々、震災の

ニュースを見るにあたり、遅々として進まない復旧復興活動に
苛立たしさ、腹立たしさ、又、最近では怒りさえこみ上げてきます。
私は今まで商いでのスタンスの中、又、自分の人生の中で政治や政府に過度の期待をしたわけでもなく、
どちらかというと、色々、問題はあるんだろうけど戦後の日本を飢える人間が
皆無なまでの豊かな国へ築き上げれたという実話の中、『まあまあ』という思いでいました。
けれど今回の政府、特に菅総理の対応はどう考えても常軌を逸していると思う。
日本がそして日本人が世界の笑い者になっている。
彼らには日々メディアで伝えられる、被災地の人々の声、日本国民の声が届かないのだろうか。
総理においては、リーダーシップが無く、決断力が無く、仲間を裏切り
権力の座にしがみつき、詭弁を繰り返す、なんと情けない生き方だろうか。
国難の折り、日本が一体となり、国民が過去への反省と、新しい、美しい日本の形成の為に、
正しい生き方を模索している今、なんと無様なことか、
日本には武士道という精神が有り、一言でいうと『恥の文化』である。
彼らはいつまで生き恥をさらすつもりなのだろうか。

日本人の特性のひとつに

困難な情況の時、一般大衆は下位概念から上位概念に
そしてリーダーは上位概念から下位概念に向かうと言われています。
それはこの様な国難な時、一般国民は、自分より家族、家族より会社、会社より地域、
地域より県、県より国、というように、個より公を思う意識が強くなり利他の為に生きようとするのです。
逆に政治家などリーダーなるものが
公より自分や自分の所属する党、自分の選挙区など意識がどんどん下位概念に向かうのです。
まさに今、顕著に表れています。嘆かわしいことです。

戦後の復興は

日本人の勤勉性と忠誠心によって成し得たものだと思います。
敗戦後の復興に尽力した吉田茂は、「日本人には何の資源もない、この国がここまで来れたのはなぜか。
ただ一つの資源があったからだ。日本人の勤勉性という資源だ。」
と語ったという。
国難の今、我々は、この二つの美質をもう一度見直し、行動し、我々一人一人の小さな力が、
50年後、100年後に『あの震災以来、国民の意識が変わり、すばらしい国になった。誇りある日本が築けた』と言ってもらえる様な生き様を残したいと強く心に思います。




平成23年5月 悠久の大義

  • 投稿日:2011年 5月22日

被災地を訪れて、

4月30日に出発して、車中2泊、現地2泊で
宮城県女川地区に、社員8名で炊き出しに行ってまいりました。
冷凍車トラックを含む計3台に分乗し、
やきそば1500人前、やき鳥500本、
果子乃季さんのどらやき1200個、
チョコレート菓子1500人分、
岩国の地酒「五橋」「黒松」を一升パックで80パック等々、
トラックに詰め込んで現地に向かいました。

30日の、

15時30分に出発し、
初日の炊き出し場所である女川総合体育館に到着したのが
5月1日の朝8時30分、ほとんど休息なしで17時間の道のりでした。
到着して直ぐに焼きはじめた焼きそばが
初日の1000人分すべて出来上がったのが16時位でした。
女川総合体育館は女川地区の支援本部が
設置されている場所なので自衛隊がお風呂の設営をしており
他の避難所の方々も多く来られていました。
又、日曜日でしたので芸人のボランティアの方も来られていて、子供達を励ましていました。
2日目は、炊き出しで女川第3小学校、女川ボランティアセンター、
海泉閣と3ヶ所廻り、お菓子、どら焼きの配給で
もう2ヶ所の避難所を廻り、計5か所の避難所を廻りました。
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現地を見て、テレビで見るのとは大きな違いでした。

言葉では言い表せない、想像を絶する様な悲惨さ、ひどさ、無惨さ、恐怖とういうか、
この世のものとは思えない情景には絶句してしまいました。

避難所の現状はと申しますと、電気、水等のライフラインはほとんどの地域で回復していました。
わずか1カ月半の間によくここまで回復にこぎつけたのも
多くの方々の不眠不休のご苦労があったからだと思うと、心が熱くなりました。
又、物資において、水、ラーメン、服、お菓子等、最低限必要な物や長期保存出来る物は、
十分に行き届いておりました。
しかし主食の食糧においては未だ十分ではなく、朝・昼でパン1個の配給であったり、
2日目の夕方炊き出しをした所では我々のやきそば、やき鳥以外はおにぎり1個という状態でした。
温かいごはんが食べたいだろう、おいしい魚も、肉も食べたいだろうと思うと心が苦しくなる思いでした。
集団生活の中、プライバシーも無く、本当に苦しい環境の中、
家が流され、家族、知人の死を目の当たりにし、本当に心痛の中であろうに、
明るく元気に明日を生きよう、もう一度この町を復興させよう、
この子供達の為にもがんばるんだとういう様な強くたくましいエネルギーを感じることが出来、
逆に私達が元気をもらった様でした。
あの究極の状況の中でも『礼節高く』『調和を保ち』
日本人の特質である『相手を思んばかる精神』『利他の精神』の中でお互いが協調し、
感謝の念を忘れず至誠の心でこの仲間を、この町を、この地域をみんなの力で復活さすんだという
高い志を持ちうる日本人に、私は『日本人の誇り』を、心で、肌で感じたことはありません。
私は日本は変わると思いました。
戦後の焼け野原から復興し、勤勉、勤労な日本人であるが故に、
高度成長を成し遂げ経済大国となったが
今や、一時の勢いもなく、国家の負債が千兆円にも上ろうとし、
心の痛みを持つ人々が増え、悲惨な事件が後を絶たない今の日本は
必ず変わるし、必ず変わらなければならないと強く思いました。
私達は被災された方々の死や苦労を無駄にすることなく国民全員が一体となり
この困難を乗り越え、絆の深い美しい日本を築き上げねばならないと強く思った。
最後に、炊き出しの準備をしてくれた女性社員、
ゴールデンウィークにも関わらず行動を共にしてくれた弊社社員を誇りに思うと共に感謝したい。
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※こちらのコラムは、弊社情報誌「ありがとう。」vol.27に掲載しています。


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平成23年4月 悠久の大義

  • 投稿日:2011年 4月 1日

あの悲劇の

3月11日以来連日の悲しいニュースに心が痛み、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。
この原稿を書いている今日は4月10日で震災からちょうど1カ月が経ちました。

『この非常時の今、日本人として思うこと』として、

「25歳の女性、遠藤未希さんの死」について書かせていただきます。
『運命は選択できないが運命に対する姿勢は選択できる』彼女の行動はまさしくこの言葉に尽きると思う。
宮城県南三陸町の町役場危機管理センターの職員の彼女は、津波が押し寄せてくる中、「早く逃げてください。
六メートルの波があります」と最後まで放送を続け、結局津波にのまれた。
住民を救おうとマイクを放さず目前に津波が迫る恐怖と闘いながら、公人としての使命を全うすべく25歳という若さで最期を遂げたのです。
多くの住民は彼女の振り絞る声を聞いて無事、高台に逃れた。
海外の新聞には彼女の記事が次の様に掲載されている。
『日本が地震による大災難を乗り越えて立ち上がるのは時間の問題だ。
円高が維持されているからでもなく、日本政府が莫大な資金を供給しているからでもない。
混沌の中でも落ち着きと節制を失わない市民の精神が生きていて、住民の為にマイクを最期まで放さない公人精神が残っているということ。
これ以上の災難克服意志を示す証拠はない。
遠藤さんの場合、町役場の末端職員などという考えはなく、住民の安全の責任を負った最高の公職者のように行動した。』又、他の海外メディアのコメントで、『日本人がこうした状況下で米国の様に略奪や暴動を起こさず、相互に助け合うことは全世界でも少ない独特の国民性であり社会の強固さだ』又、地震当日の東京において切迫した状況にもかかわらず、コンビニやスーパーなどの施設は通常通り営業した。
そこにできた長蛇の列に住民は整然と並びきちんとお金を支払って買物をした。
鉄道機関は夜通し運行した。
大混雑の中で乗客はお年寄りや妊婦に席を譲ったというこの様な当り前の行動は実は世界に誇るべきことなのだ。
アメリカのメディアは「有史以来最悪の地震が世界で一番準備され訓練された国を襲った。
犠牲は出たが、他の国ではこんな正しい行動はとれないであろう。
日本人は文化的に感情を抑制する力に優れている」と。
又、「日本国民が自制や自己犠牲の精神で震災に対応した様子は広い意味での日本の文化を痛感させた。
日本の文化や伝統も米軍の占領政策などによりかなり変えられたのではないかと思いがちだったが、文化の核の部分は決して変わらないのだと今日、思わされた」と、私はこの様な記事を読んだ時、『日本は変わる、変わらなければならない』と強く思った。近年の日本は若者の引きこもり等後ろ向きの傾向、公より個の優先、日本の経済文化の下降、政治の困迷の中、この震災が日本国家と日本民族の底力の再発見を促し本来の日本文化に基づいた新しい目的意識を持つ日本人を創造すると確信する。
震災を契機に我が国が世界に向けて模範を示し新たな地平を拓き、我々残された日本人は無念にも災害で亡くなられた方々の霊に報いる生き方をする事が我々の使命だと思う。
しきしまの 大和心の ををしさは
    ことある時ぞ あらはれにける
               明治天皇 御製




※こちらのコラムは、弊社情報誌「ありがとう。」vol.26に掲載しています。


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