平成25年11月 悠久の大義

  • 投稿日:2012年 11月 1日

若葉が美しく、

風薫る、爽やかな季節になりましたが、皆様方におかれましては、益々、ご健勝のこととお慶び申し上げます。


母の日を先日迎え、

3月の末に、母を亡くした私には、母の日のプレゼントをする相手が無くなった寂しさを、感じる1日でありました。
離別から2カ月程が過ぎましたが、母親の有難さを、常々感じる事が、たくさん有ります。
人は、母親の背景や教え、生き方等、多くの物を潜在的に又、顕在的に引き継ぎ、強く影響を受けている様に思います。
私の、人間形成の基礎になっている様にも思うのです。
仕事に対しても、私は他人によく「仕事をするとは人間としての使命である」と話しをさせていただくのですが、幼少の頃より「仕事をしない人間は、生きる価値がない」と繰り返し聞かされたのを思い出します。
商売人の子供として育った、私の仕事に対する想い・情熱・姿勢というものは、振り返ってみれば、幼少の頃から父母の背中を見て『仕事とは』ということを教えられたおかげで出来上ったのだと思いますし、今日の自分が有るのだと思います。 又、神仏に対しての畏敬の念についても、厳しく教えられました。
日本人の信仰は、唯一神ではなく、八百万の神々に対する、神観の中、『人は見てなくても神様は見ておられる、悪い事はしてはいけない、ばちが当たる』『神仏には手を合わせなさい』等、良く言われたものです。又、人に対しては『人には何事においても良くしてあげなさい』『嘘をついてはいけない』『親切にしてあげなさい』等、『人として徳を積む生き方をしなさいよ』と、そして、信義ある生き方を学んだ様に思います。
私が「武士道」や「論語」について興味を持ち学ぶ様になった根本的な要素は、母の教えが有ったからではなかろうか...と思っています。
人並みではありますが、生前もっと親孝行が出来ていたらと...母に感謝。
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↑サン・リフォームの経営理念『先義後利』





平成24年10月 悠久の大義

  • 投稿日:2012年 10月 1日

街路樹の葉も

日ごとに黄色くなり、秋晴れの心地よい季節となりましたが、皆様方におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申しあげます。




















先日、

開催させていただきました秋のわくわくリフォーム祭には、多数のご来店を賜りありがとうございました。義援金として181342円集まり、皆様方の温かいご支援を大変嬉しく思っています。遅々として進まない復興の一助に必ずやなることと思います。


人財は群生する

過去の歴史を振り返った時、正に偉人がある地域から一時代に多く輩出されているのです。薩摩鹿児島の加治町という本当に小さな町では、明治維新最大の功労者である、西郷隆盛、海軍育ての親である山本権兵衛、日露戦争でバルチック艦隊を撃破した連合艦隊司令長官の東郷平八郎、日露戦争では満州軍総司令官であった大山巌、他にも西郷従道、黒木為禎など驚くほど多く輩出しているのです。
 又、長州山口では、萩市の松本村という小さな村で、吉田松陰先生が主催する松下村塾から多くの人財が輩出されています。松下村塾はわずか一年一カ月という本当に短い期間に79名の塾生を育て、その中から二人の内閣総理大臣、伊藤博文、山縣有朋、三人の大臣、山田顕義、品川弥二郎、野村靖という計五名の大臣を輩出したのです。しかし松下村塾では彼らは二流であったと言われています。本当の傑人は、維新を待たずして死んだ四天王と呼ばれた四名がいます。松下村塾の双壁といわれた、久坂玄瑞、西郷隆盛は彼のことをこの様に後に語っています。「今、俺が少しばかり手柄があったからといって皆にチヤホヤされるのは、額に汗が出るような気がする。もし藤田東湖先生や、久坂玄瑞、その他の諸先輩が生きておられたなら、到底その末席にも出られたものではない。それを、ああいう先輩が早く死なれたために、俺のような者が偉そうに言われるのは、恥ずかしゅうてならぬ。」と。
 又、双壁のもう一人である高杉晋作、私は彼の辞世の句が大変好きです。下りの句は野村望東尼がつけたといわれるものです。

『おもしろき こともなき世を おもしろく
   すみなすものは 心なりけり』
 つまりこの世を面白いと感じるかつらいと感じるか自分の心が決めることであって心の持ち方次第ということだと思います。

 そして、高杉晋作、久坂玄瑞とともに、松下門下の三秀と呼ばれた吉田稔麿、池田屋事件で討ち死に。そして入江九一彼は、禁門の変で自刃。又、この他にも松下村塾から多くの偉人を輩出しているのです。
 この様な『人財の群生』の大いなる要因は、尊敬する人物、憧れのある人物の存在であると思います。長州には吉田松陰、薩摩には西郷隆盛、彼らの存在こそが後に歴史を築き上げた人々を生んだのだと思います。そして教育であろうと思います。
 長州には幕末維新期に郷校(官学)の数は全国一位、寺子屋(私学)の数は全国二位、私塾(私学)の数は全国四位で全国トップの教育水準と底辺の広さが有り、幼少の頃より学びに対する姿勢が出き、吉田松陰という天才的教育者の下、人財が開花したのだと思います。
 薩摩には「郷中教育」というものがあり、少・青年期に居住する町内において集団教育を行い年長者が年少者を教育するシステムです。西郷隆盛は、前述の下加治屋町郷中の『二才頭(にせかしら)』という青年隊のリーダーをしていたのです。そして郷中教育の訓戒事項には、一、負けるな 二、嘘をつくな 三、弱いものいじめをするな というもので厳しく年長者が年少者を教育していました。
 今の時代に一番必要とされているのは、『正しい教育』ではないでしょうか、痛切に思います。





※こちらのコラムは、弊社情報誌「ありがとう。」vol.43」に掲載しています。


「ありがとう。」は、下松本店や岩国店のイベント、施工例など、様々な情報をお届けしています。
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平成24年8月 悠久の大義

  • 投稿日:2012年 8月 1日

残暑がひとしお

身にこたえる毎日ですが、皆様におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申しあげます。
 夏という季節は開放的で、私は大変好きなのですが、この近年の夏の暑さはいかがなものかと思います。私も少々、この暑さにバテ気味ですが、皆様方もご自愛ください。






今月は、

私が毎月愛読している『致知』の一文をご紹介させていただきます。

~人間学を学ぶ月刊誌『致知』より~
特集 知命と立命

人は誰でもそれぞれに、天から与えられた素質能力がある。これを「命(めい)」という。
自分はどういう命を与えられているのか。それを知ることが「知命(ちめい)」である。知って、それを完全に発揮していくことが「立命(りつめい)」である。―安岡正篤師(まさひろ)の言葉である。人生の目的を語って、極めて明快である。人は何のために生きるのか。命を知り、命を立てるためだ、という教えである。
 そこで思い浮かぶ人がいる。松下幸之助氏である。
 昭和7年3月、松下氏は取引先の人に誘われて天理教本部を訪問、そこで働く人々の姿に衝撃を受けた。奉仕でありながら、生き生きとした喜びに溢れていたのだ。月給をもらって仕事をする人のそれとはかけ離れている。この違いは何か。考え続けた松下氏に、一つの思いが生まれた。それは使命感である。宗教は人を救い、安心を与え、人生に幸福をもたらす聖なる事業である。その事業に奉仕しているという使命感が、喜びに満ちた姿となって現れているのだ。
 会社の事業もまた、人間生活の維持向上に欠かせない聖なるものである。生産に次ぐ生産によってこの世に物資を豊富に生み出し、貧乏をなくす。そこにこそ我々の使命がある。
 松下氏の思いは強い確信になっていった。
 5月5日、松下氏は当時の全店員168名を大阪の中央電気倶楽部に集め、松下電器が将来に果たすべき使命について訴えた。
「産業人の使命は貧乏の克服である。そのためには物資の生産に次ぐ生産をもって富を増大させなければならない。水道水は加工されていて価(あたい)のあるものだが、通行人がこれを飲んでも咎(とが)められることはない。それは量が多く、価格があまりにも安いからである。
 産業人の、そして松下電器の真の使命は、物資を水道水の如く安価無尽蔵に供給し、この世に楽土を建設することである」 
 この発表に全員が感激、次々と壇上に上がり決意を表明した。
 松下氏はこの日を松下電器の創立記念日とし、この年を「創業命知(めいち)第1年」と呼んだ。本来は「知命」とすべきところを、日本語読みそのままに「命知」としたのはいかにも松下氏らしい。以後の松下電器の発展については詳述するまでもあるまい。
 命を知る力の大いさを思わずにはいられない。
しかし、命を知っただけでは道半ばである。真の大事はその命を発揮していくこと、立命である。いかにして命を立てていくか。古今の先哲が多くの教訓を残している。ここでは明代(みんだい)の儒者、崔後渠(さいこうきょ)の言葉「六然(りくぜん)」を紹介する。

*自處超然(じしょちょうぜん)(自ら処すること超然)...自分自身に関してはいっこう物に囚われない。
*處人藹然(しょじんあいぜん)(人に処すること藹然)...人に接 して相手を楽しませ、心地よくさせる。
*有事斬然(ゆうじざんぜん)(有事には斬然)...事があるとき はぐずぐずしないで活発にやる。
*無事澄然(ぶじちょうぜん)(無事には澄然)...事なきときは 水のように澄んだ気でいる。
*得意澹然(とくいたんぜん)(得意には淡然)...得意なときこ そ淡々としている。
*失意泰然(しついたいぜん)(失意には泰然)...失意のときは 泰然自若としている。

心術の工夫、学問修養のないところに立命はない。

~『致知』8月号より~

「命」を知り、「立命」することで自分の生き様を残したい...そんな人生を送りたいと思います。






※こちらのコラムは、弊社情報誌「ありがとう。」vol.41」に掲載しています。


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