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平成23年11月 悠久の大義
- 投稿日:2011年 11月10日
朝夕の
冷え込みが一層と厳しくなり冬の足音がすぐそこまでやってきている様ですが皆様方におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。 |
弊社は今年
一月に、下松ジュニアユースサッカークラブを母体に設立された、NPO法人ジュニアサッカークラブの「グランザ下松FC(四月に改名)」のスポンサーとなり、今月の12日・13日に第一回サン・リフォーム杯東山口ジュニアユースサッカー大会を開催させていただきました。私はスポンサーになるにあたり、当クラブの理事長さんから、「クラブチームを法人化することにより、下松を中心に周南・光、しいては東山口地区の青少年の育成を積極的に取り組み、努め、より整った環境の中でプレーをさせてやりたい、そして、技術的にも精神的にも成長出来、東山口に強いチームを作りたい」というお話をいただき、弊社もその大きな志の一助となる様スポンサーにならせていただきました。そして第一回の大会を無事終えることが出来ましたことを大変嬉しく思っております。又、末永くこの大会を続けてまいりたいと思っております。ご支援宜しくお願い致します。
会津のお話を
先月に引き続きさせていただきます。私はずっと、会津についてトラウマといいましょうか心のわだかまりを持っていました。それは私が中学時代の先生の話を聞いてからです。今から35年前、その先生は40代後半の男性の先生でした。先生の先祖は長州藩でも位の高い侍であり、父親は軍人で陸軍中佐で終戦を迎えたと言っておられました。そして先生が大学を卒業して教員になる為の研修が会津であり、その時の話を聞かされたのです。研修に行くにあたり、父親から決して山口県人であると言ってはならない。戊辰戦争の遺恨がまだまだ残っているからと言われたそうです。でも先生は会津に着いて何日目かにうっかり口を滑らせて言ってしまったのです。すると前日までの対応とは全く違った冷やかな態度になったと聞きました。戊辰戦争後85年という月日が過ぎていても会津の人の中では拭い去ることが出来ない歳月だったのだと思います。当時中学生だった私は愕然としました。自分にとって明治維新は遠い存在なのに...そして同じ日本人なのに...と。
そしてその時、いつの日か長州男子として、会津にお詫びに行こう、私がお詫びに行ったからとて何も変わる訳ではないが、『必ず行かなければならない』という使命感を感じました。
そして、一昨年やっと思いが叶い会津に行くことが出来ました!弊社の社員船津との仙台出張の折ではありましたが、念願の会津若松の地へ赴きました。
会津若松に到着したのが夜の8時位だったと思いますが、不思議な出来事がありました。会津若松にも数百軒の飲食店が有るのですが、導かれる様にある一軒の小料理屋さんに入りました。店内は私達以外は一組のお客さんだけだったのでご主人やおかみさんとゆっくりと話をすることが出来ました。そしてご主人の口から出た言葉にびっくりしました。それはこの店の敷地が元々は白虎士中二番隊悲劇の自刃の唯一の生き残り、飯沼貞吉さんの土地だったからです。ご主人も知らずに土地を買われ、後に役所の人から聞かれたとのことでした。神仏のお導きなのでしょうか、何かの因縁なのでしょうか、縁というものを感じました。会津藩士の霊が長州人である私達を迎えてくださり、140年という時空を越えて許されたという気持ちになりました。
翌日、白虎隊士の墓がある飯盛山に登り...お墓に手を合わせた時は感無量で、長年心につかえていたものが涙と共に荒い流された様でした。
会津若松駅前にて
飯盛山にて
平成23年10月 悠久の大義
- 投稿日:2011年 10月 5日
街路樹の葉も
日ごとに黄色くなり、秋空高く、さわやかな毎日が続きますが、皆様方におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。 |
月初めに開催
させていただきました『応援リフォーム祭』 には多数のご来店を頂き誠に有難うございました。楽しんでいただけたでしょうか。私はリフォーム祭の度にたくさんのお客様の元気なお顔を拝見出来ることを非常に喜びとしております。
少し早いのですが、来年一月開催予定の新春リフォーム祭は今年以上の大きなマグロでの解体ショーをご披露したいと思っております。お客様に楽しんでいただける企画盛り沢山で開催していきたいと思いますので今後ともご愛顧賜ります様宜しくお願い致します。
会津という名を
耳にした時、皆様は何を連想しどの様な感慨にふけりますか?『会津と長州』一つの時代の激動の流れの中で激しくぶつかり合い、殺し合った、二つの藩、各々の歴史的背景の下、各々の武士道的正義の下、お互いが長い年月の間に築き上げた『生き様』、『哲学』のぶつかり合いであったと思う。長州は関ヶ原の合戦で敗れた後、徳川家康が所領安堵の約束をしたにも関わらずその約束を反故にされ、百二十万石から二十九万石への大減封となり江戸時代ずっと徳川を恨み続けました。そして倒幕というものが『国是』となり、新年拝賀の儀では、家老が「今年は討幕の機はいかに」と藩主に伺いを立てると藩主は毎年、「時期尚早」と答える習しがあったのです。そして、幕末、吉田松陰という精神的支柱の下、長州は倒幕へと動きました。又、会津は関ヶ原以降、蒲生家、加藤家を経て、三代将軍家光の異母弟の保科正之が会津藩主となり、三代正容の時、松平の姓に改姓し幕末まで松平家が会津を治めたのです。松平家は徳川の親藩であり、家康とは血縁の藩でありその中でも名家の一族を指す『御家門』でありました。又保科正之が制定した会津藩家訓十五カ条(将軍家への忠誠を第一とするなど会津藩の藩風を決定づけた)特に第一条の「大君の義、一心大切に忠勤に存ずべく、列国の例をもって自ら処するべからず。若し二心を懐かば則ち我子孫にあらず。面々決して従うべからず」は会津藩を他藩がどうであろうと、将軍家に忠義をつくす藩だと位置づけたもので、二心を抱く藩主には子孫としての資格はなく従ってはならないとまで言い切る峻烈なものになっています、この志を藩の柱とした思想が会津藩を作り上げ幕末に至ったのだと思います。
二つの雄藩は関ヶ原の合戦から二百六十五年後、戊辰・会津戦争が起こるべく各々の道を歩み、お互い異った武士道の柱を作り上げていったのだと思います。
会津藩そして、最期の藩主である松平容保を見るに、東北人の純粋さ、律義さ、忍耐強さを感じずにはおれません。紀州や尾張はどの徳川御三家すら裏切っているのに徳川に対する忠誠を貫き、白虎隊の悲劇の物語を作り出した純粋な忠義は、日本人の美学であると思います。
東北大震災は、日本人を目覚めさせる為に『日本で一番強い精神力を持つ東北地方に神が試練を与えた』のだという記事を読んだことがあるが正にその通りかもしれない。
鶴ヶ城
白虎隊自刃の地(飯盛山から陥落した鶴ヶ城を見て白虎隊は自決した。)
平成23年8月 悠久の大義
- 投稿日:2011年 8月 1日
残暑厳しい折ですが、
皆様方におかれましては、お元気にお過ごしのことと存じます。 |
8月といえば、
お盆が有り、原爆の日が有り、終戦の日が有りと、ご先祖や故人を偲び過去を振り返ったり、歴史の1ページを紐解く時期なのではないでしょうか。
バブルが崩壊し、リーマンショックで経済が沈下し人口も減少の一途をたどり、
日本の勢いは影を潜め、自殺者数も増加し続け、社会悪が後を絶たない近年ではありますが、
書店では最近、本物の近代史を伝える書籍が増え、
特に太平洋戦争前後の正しい歴史が記された書籍が多く見受けられる様になったと思います。
それは日本人の覚醒が始まったのではないでしょうか。
3・11以降加速度的になっているのは間違いないことです。
大震災でどん底の中、日本人のDNAの中に潜在された『武士道精神』が顕在化され、
「個より公、損得より善悪、競争より和」を重んじる日本人の精神性に
目醒めの萌芽が始まったものと思います。
そして、今の日本のモラル、政治、経済の失速、崩壊の元凶が
GHQの「罪意識扶植計画」(日本人の言論統制を行ない歴史を歪め
日本人の心に戦争の罪意識を植え付けようとしたもの)により
歪められた昭和史の教育で自虐史観が国民に刷り込まれ、
又、GHQによって作成された日本国憲法が制定され、GHQの主導の下教育基本法が制定されたりと
アメリカの『日本人骨抜き作戦』によるものであり、今日の日本においてもその影響は進行形なのです。
特に教育界に今なお機能しており、GHQが種をまき、日教組が大きく育てた「国家自己崩壊システム」は
歴史的事実を変えてしまいました。本当に嘆かわしい歴史です。
戦後66年が過ぎ、
戦後最大の困難に遭遇した我々は、正しい昭和史を学び、GHQの策略により植え付けられた罪悪感を払拭し、国家に対する誇りを取り戻し、
戦勝国の復讐劇にすぎない東京裁判を断固否定することだと思います。
東京裁判に正当性が無いという事はA級戦犯者などは存在せず、靖国問題など存在しないということです。
そして日本人による日本人のための憲法を作りあげることが
これからの日本において最も大切なことだと思います。
私は日本人は世界において最も崇高な文明を築いてきた国民だと思っています。
良き時代の日本を訪れたサンフランシスコ・ザビエルとアインシュタインは次の様に語っています。
「この国の人々は発見された国の中で最高であり、日本人より優れた人々は、
異教徒の国では見つからないでしょう。彼らは親しみやすく、善良で悪意がありません。
驚くほど名誉心の強い人々で、何よりも名誉を重んじます。
大部分の人は貧しいのですが武士と共に不名誉とは思いません。(フランシスコ・ザビエル)」
「近代日本の発達ほど世界を驚かしたものはない。
その驚異的発展には他の国と違ったなにものかがなくてはならない。
果たせるかなこの国の歴史がそれである。
この長い歴史を通じて一系の天皇を戴いて来たという国体を持っていることが、
それこそ今日の日本をあらしめたのである。
私はいつもこの広い世界のどこかに、1ヶ所ぐらいはこのように尊い国がなくてはならないと考えてきた。
なぜならば、世界は進むだけ進んでその間幾度も戦争を繰り返してきたが、
最後には闘争に疲れる時が来るだろう。
このとき人類は必ず真の平和を求めて世界の盟主を挙げなければならない時が来るに違いない。
この世界の盟主こそは武力や金の力ではなく、
あらゆる国の歴史を超越した、世界で最も古くかつ尊い家柄でなくてはならない。
世界の文化はアジアに始まってアジアに帰る。それはアジアの高峰日本に立ち戻らねばならない。
我々は神に感謝する。神が我々人類に日本という国を作って置いてくれたことである。(アインシュタイン)」
もう一度日本人の誇りを取り戻し利他の心を持ち、人情や測隠に溢れ倫理道徳観の高い、
美しい国家『日本』を築き上げていきたいと思います。
そして悠久の平和を世界に発信出来る国に成れる様切望します。
まだまだ暑い日が続くと思います。ご自愛ください。
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