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平成24年6月 悠久の大義
- 投稿日:2012年 6月 1日
紫陽花の花が
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色を深めております今日この頃、皆様方におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。 |
先日開催の
いたしました『ショールームオープン4周年祭』には、多数ご来店頂き誠に有難うございました。又、同時開催いたしました『第5弾震災義援チャリティー屋台』や募金にも多数ご参加していただき、合計189679円の過去最高額の義援金を頂き皆様方の熱い想いを感じることが出来ました。本当に有難うございました。
前々回の37号に
おきまして、『がれき問題』にふれましたが、予想以上の反響があり、ご賛同とのご意見を多数いただきました。震災のあったあの日から、1年以上が経っているわけですが、5月になって大量のがれきが約6400キロも離れた地、アラスカに漂着しているとの新聞記事を目にしました。
おびただしい数の流木に、アラスカではまず目にすることのない日本家屋に使う「ウレタン」、日本語の入ったペットボトルや発泡スチロール...
現地のアラスカの方々は、この多量のがれきを目にし、まず心配したのが『生態系のバランスが崩れること』でした。
小さな破片となった発泡スチロールは、野生の動物たちがエサと間違って食べてしまう可能性があり、食物連鎖により被害が拡大してしまう、とありました。そのために早急にがれきを処理したい、と。
我が国では、未だ『がれき問題』を処理できずにいます。国内で起こった問題は国内で早々に処理していくべきだと思うのです。国内で問題が停留している間に、アラスカには、もっともっと多くのがれきが漂着していくことでしょう。アラスカに限らず、他の国々にも...。
アラスカでがれき処理に携わるボランティアの方に、新聞記者が「日本ではがれき受け入れ拒否問題が起きている」言ったところ、「じゃあどこに処分するというの? そんな風に嫌がる人はアラスカにはいないよ」と言われていたのが印象的でした。
もう一度、日本について、この国の未来について、国民ひとりひとりが考えて欲しいと願います。
今、自分にできることは何なのか。声をあげるべきは何なのか。震災がれきが他の国にも被害を与えていること。その国の人々が前向きに処理を行っていること。
私達のやるべきことは星の数ほどあります。立ち止っていては何も変わらない、傷つく国や人を増やすだけ。
あの風景を取り戻すため、みんなが笑顔であるために...もう一度。

↑アラスカに漂着した震災がれき。
(下画像:左のオレンジ色の塊がウレタン)

平成24年4月 悠久の大義
- 投稿日:2012年 4月10日
日増しに
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春の暖かさが感じられる今日この頃ですが、皆様方におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。 |
美しく生きる。
私は人間が生きていく上でとても大切なテーマであると思います。『美しく生きる』言い換えれば『正しく生きる』ということと同じであると私は定義しています。
私はこのテーマを掘り下げ、究明し、自得する為に、人は学び続け、葛藤し、そして、そこで生まれた『憤』により成長していくものだと思います。
3・11の大震災において多くの死を目の当たりにして、日本人のDNAの本幹の部分のリセットボタンを押すことが出来たのではないかと思っています。
戦後ただひたすらに働き続けた日本人、経済の成長、物欲的な豊かさを追い続け、高度成長期、バブルを経て戦後の日本人の柱であった経済成長が行き詰まり、学校教育の崩壊、自殺の増加、青少年の犯罪の凶悪化、公より個の優先等、日本人の倫理観、道徳観の喪失を少しずつ感じ始めた時期にあの大震災が発生し日本人が心のリセットボタンを押しはじめたのだと思います。
日本人が戦後忘れかけ、失いつつあった大切な物は何なのか、なぜこの様な日本になったのか等、真剣に『振り返り』をはじめた様に思います。日本人一人一人が『美しく生きる』ことを心掛け、世の中に利他の心が溢れ、日本人の誇りを取り戻し、美しい国日本を築いていきたいと切に思います。
被災地において遅々として進まない『がれき問題』。なんと嘆かわしいことかと思います。先日アンケートの結果を見たのですが、日本全国で70%の方は受け入れてもいい、そして20%の方は反対、10%の方はわからないという結果でした。以前にも述べたことがありますが、日本人の特性のひとつに困難な状況の時、一般大衆は下位概念から上位概念に、そしてリーダーは上位概念から下位概念に向かうのです。それはこの様な困難の時一般国民は、個より公を優先する様になり、利他の為に生きようとするのです。逆に政治家などリーダーなるものが公より党や選挙区など意識がどんどん下位概念に向かうのです。70%の国民が受け入れを許容しているという結果を見た時すばらしい事だと思い、高い数字にびっくりしたのと同時に何故国民の意識がこの様に高いのにがれき問題が進まないのか憤りを感じ、又政治というものに失望を感じました。国の対応の悪さは歴然であるが、地方政治においても、又この山口県においても...明治維新を無し成し遂げた山口県人として誇りある対応を政治家の方はしていただきたいと切に思います。山口県において受け入れてもいいと声明を出したのは防府市だけであり、他の市は『事なかれ主義』を通している様にも思う。国家の大事とはいえ145年前明治維新を成し遂げんとする為に多くの東北の人々を殺戮したのは事実である。今こそ長州人として他県に先駆けて受け入れを表明し、少しでも東北の方々の痛みを引き受けてあげるべきではないだろうか。

平成24年3月 悠久の大義
- 投稿日:2012年 3月20日
季節の
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変わり目で不安定な天候が続きますが、皆様方におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。 |
先日開催の
イベント、スポーツ協賛大会『第3回サン・リフォーム杯周南地区U-11』少年サッカー大会、『第3回サン・リフォームカップ周南市近郊小学生バレーボール大会』では、御協力いただきました皆様に、深く感謝いたします。サッカー大会、バレーボール大会共、子供たちの懸命な姿に心打たれ、幸せな時間を過ごすことができました。
来年もまた第4回大会を開催する所存です。心に残る良き大会にしたいと思います。
『一流たちの金言2』より
『一流たちの金言2』第2章:ひたむきな心
「無理だとわかって
いても挑戦する」
~S君の生き方から
教わったこと~
木下晴弘(元塾講師)
私が日頃から愛読しています月刊『致知』の致知出版社より『一流たちの金言2』という本が出版されました。その中でも私が大変感動し、感銘を受けたお話がありましたので、ぜひ皆様にも読んでいただきたく、ご紹介させていただきます。
私が学習塾講師になって間もない頃、S君という中学3年生の生徒が入塾してきました。
無口で少し変わった子でした。授業の時にノートを出さない。数学の問題はテキストの余白で計算する。だから計算ミスばかりしているのです。
たまりかねた私は、ある時、彼を呼び出して言いました。
「ノートはどうした」
しかし、S君は黙ったままうつむいています。
次の日は必ずノートを持ってくるように約束させましたが、それでも彼はノートを持ってきませんでした。私はカチンときて思わず怒鳴りつけました。
「反抗する気やな。よし分かった。先生がノートをやるわ」
私は500枚ほどのコピー用紙の束を机にボンと投げ出しました。するとS君は「ありがとうございます」とお礼を言うのです。
夏になると、周囲の生徒からS君に対する苦情が寄せられるようになりました。彼がいつも着ているヨレヨレのTシャツとジーパンが臭うというのです。
この時も私は彼を呼んで毎日着替えるよう言いましたが、それからも服装は相変わらずでした。
私は保護者面談の時、S君の母親にこのことを話しておかなくてはと思いました。
生活態度を改めるよう注意を促してほしいと訴え掛ける私に、母親は呟くように話を始めました。
「あの子は小学校の頃から、この塾に通ってK学院に進学するのがずっと夢だったんです。でも先生、大変申し訳ないのですが、うちにはお金がありません......」
S君が早くに父親を亡くし、母親が女手ひとつで彼を育て上げてきたことを知ったのはこの時でした。
塾に通いたいというS君をなだめ続け、生活を切り詰めながらなんとか中学3年の中途で入塾させることができたというのです。
私はしばらく頭を上げることができませんでした。
S君に申し訳なかったという悔恨の念がこみ上げてきました。
そして超難関のK学院合格に向けて一緒に頑張ることを自分に誓ったのです。
K学院を目指して早くから通塾していた生徒たちの中でS君の成績はビリに近い状態でしたが、この塾で勉強するのが夢だったというだけあって勉強ぶりには目を見張るものがありました。
1冊しかない参考書がボロボロになるまで勉強し、私もまた、他の生徒に気を使いながら、こっそり彼を呼んで夜遅くまで個別指導にあたりました。
すると約2か月で700人中ベストテンに入るまでになったのです。まさに信じがたい伸びでした。
S君はそれからも猛勉強を続け、最高水準の問題をこなせるようになりました。
K学院の入試も終わり、合格発表の日を迎えました。
私は居ても立ってもいられず発表時刻より早くK学院に行き、合格者名が貼り出されるのを待ちました。
真っ先にS君の名前を見つけた時の喜び。
それはとても言葉で言い尽くせるものではありません。
「S君に早く祝福の言葉を掛けてあげたい」
そう思った私は彼が来るのを待ちました。
しかし1時間、2時間たち、夕方になっても姿を見せません。母親と一緒にやって来たのは夜7時を過ぎてからでした。母親の仕事が終わるのをずっと待っていたようでした。
気がつくとS君と母親は掲示板の前で泣いていました。
「よかったな。これでおまえはK学院の生徒じゃないか」
我がことのように喜んで声を掛けた私に彼は明るく言いました。
「先生、僕はK学院には行きません。公立のT高校で頑張ります」
私は一瞬「えっ」と思いました。
T高校も高レベルとはいえ、K学院を辞退することなど過去にないことだったからです。
しかし、その疑問はすぐに氷解しました。S君は最初から経済的にK学院に行けないと分かっていました。それでも猛勉強をして、見事合格してみせたのです。なんという健気な志だろう。私はそれ以上何も言わず、S君の成長を祈っていくことにしました。この日以来、S君と会うことはありませんでしたが、3年後、嬉しい出来事がありました。
東大・京大の合格者名が週刊誌に掲載され、その中にS君の名があったのです。
「S君、やったなぁ」
私は思わず心の中で叫んでいました。
これから新しい環境に、素晴らしい未来に向かって歩む皆様へ。...Dreams come true.












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